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10年前から届いたお祝い①

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両親が働いていたので、祖母に育てられた私たち三姉弟妹はおばあちゃん子。

祖母は私が大学4年の時に亡くなりました。

あんたたちが結婚するまで、ばあちゃん生きてられるかね?
ひ孫の顔見らいるかいね?

それが口ぐせでした。

祖母は私たち家族にとって想像以上に大きな存在だったようで、祖母が亡くなったとき、滅多なことでは泣かない母が『おばあちゃんがいなくなったって思うだけで涙がとまらないよ』と言ってたことを思い出します。

そんな祖母は亡くなってからも
私たちを見守ってくれていました。



祖母が亡くなってから1ヶ月後、
母方の祖母が末期のすい臓ガンで入院しました。

『坂東のおばあちゃんがメロン食べたいって言ったんだけどね、おばあちゃんの四十九日でお義姉さんがメロンを持ってきてくれててさ?仏さまにあげてあったんだけど。
これで食べさせてあげられます、おばあちゃんありがとねって手を合わせてたら涙がでてきちゃってさぁ』

『坂東のおばあちゃんオムツにしましょうってお医者さんに言われてさ。そうだおばあちゃんが使ってたやつが残ってたなと思って。
仏さまにおばあちゃんのおかげでオムツ使わせてあげられます、ありがとねって、手を合わせてたらまた涙がでてきちゃってさぁ』

四十九日のお供えのメロン。
祖母は足が悪く、トイレが間に合わないといけないと自分でオムツを買って使ってました。
その残ったオムツ。

母の電話で私も泣いてしまいました。



それから1年ほど経ったある日のこと。
妹が進学で一人暮らしするため、布団を母が準備していたときの話です。

『おばあちゃんの部屋の押し入れから布団を出してたらさ、おばあちゃんがいつも使ってた財布が出てきたの!』
『9万入っててさ、これは弟の成人祝いと、妹の進学祝いをおばあちゃんがくれたんだねって話してたらまた涙がでてきちゃってさぁ』

おばあちゃん…やってくれるよね。
亡くなってからしばらくたったのにね。
さすがだよ。 

そして祖母が亡くなって10年後。
里帰りで無事出産し、退院後ほどなくあるハガキが届きました。

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最後までお読みいただきありがとうございます。娘のおやつ代にさせていただきます…!