うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる
©️相田みつを
三陸の薬剤師さんが東日本大震災の体験を通して知ったこととして、私は知人からこの言葉を教えてもらった。
うばい合えば
足らぬ
わけ合えば
あまる
読んだ瞬間、私の胸の中に響き渡り、血液の温度がわずかに上昇したのを感じた。
そして、みんなにこの言葉を伝えたいと思った。
今はじめてこの言葉を知って、共感した人もいることだろう。
できることなら、あなたにも行動に移してほしいので、もしよければこの先の文章にもお付き合いいただきたい。
精神論だけでなく、合理的真理もついている
お店からモノが足りなくなる理由は大きく分けて3つ。
・消費量が急激に増える
・生産量が急激に落ちる
・購買量が急激に増える
色々な原因で消費量、生産量は変化する。その状況でモノが足りるかどうかは、情報を得た時の私たちの行動に左右される。
買い占めは、不要な在庫を増やすだけ
ストックを確保するために「うばい合う」のか、みんなに行き渡るように「わけ合う」のか。
消費量、生産量の変化以上に、うばい合いによって増えるのは購買量だ。
つまり、〇〇不足に拍車をかけているのは、消費者のうばい合い行動だ。
うばい合い行動はお店の在庫を、せっせと各家庭の在庫に移し替えているだけだとお気づきだろうか。
お店の在庫は市場に流通するが、家庭の在庫は市場には流通しない。結果的に市場の流通量は減り、お店と家庭を合わせた総在庫量は増える。
品薄な状況になった場合には、一人ひとりが通常より購買量を減らして、本当にいま必要な分だけを購入した方が、結果的に自分の手元に必要なモノが必要な分だけ回ってくる。
しかし、人はうばい合う。
自分のために
家族のために
友人のために
うばい合うとわけ合う、実は同義
家族とわけ合うために、うばい合う
友人とわけ合うために、うばい合う
家族や友人は、わけ合う対象
それ以外は、うばい合う対象
合理性を欠いた行動であることは前述の通りだが、転売目的で買い占める人は問題外として、わけ合うためにうばい合っている人を責めることはできない。
なぜあなたが「わけ合う」の起点になれないのか
わけ合うとは「わける」と「わけられる」
「みんながわけてくれるなら、自分だってもちろんわける」という発想の人は多いだろう。
しかし、わけ合うは「わける」ことからしか始まらない。
まず自分から「わける」ことが大切。
ここまでは誰にでもわかる。
それなのに、「わける」を自分から始めることが難しいのには訳がある。
「わける」ためには、大前提として、自分が足りないときには「わけられる」と”信じる”ことが必要だからだ。
「わけられ」てもいい
もし足りなくなった時、分けてもらえなかったらどうしよう。
わけたことで、自分が足りなくなったら自己責任。
こんな不安が、わけることを躊躇させる。
どうしたら、自分も「わけられる」と信じられるか
「わけられる」を信じられない背景には、「わけられる」ことへの罪悪感がある。
罪悪感を手放そう
「わけられる」は「迷惑かける」ではないし、
「迷惑かける」は「悪いこと」ではない。
「わける」を簡単に始める方法
「わける」ことは”自分の在庫”を誰かに与えることだと思っている人は多いだろう。
でも、必要な分だけ買って、家に余計な在庫を持たず、お店に在庫を残すことも「わける」だし、お店で買うことだって「わけられる」こと。
(おばあちゃん達はお店で買い物をするときに、ちゃんとお金は払うけど「○○わけて」って言いますね。)
まずはお店で「わける」そして「わけられる」を始めてみようよ。
「うばい合えば足らぬ、わけ合えばあまる」に共感するのは、あなただけではないから大丈夫。
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