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海にいきたい

手に負えないくらいの重圧がのしかかってきて心がダメになりそうなとき、海にいきたいと思う。
いくのは決まって夕方である。
これから暗くなろうとしている空の下にいると妙に安心するのはなぜだろうか。


だいすきな音楽もかけず、
本も読まない。
ただ、たったひとりで波の規則正しい音だけに耳を傾ける。

なんだかあたしの悩みもその穏やかな波といっしょにどんどん沖へと流れていくような気がするから、あたしは海にいく。

足早に目的地へと向かい、ありったけの心のもやもやを攫ってもらった帰りの道は、鼻に残った心地よい磯の香りが歩く早さを緩める。


いま思えば、信頼できる友達にも、ましてや家族にも、心の奥にある悩みを打ち明けたことはない。

傲慢ではあるけれど、自分は自分だから他人の助言によって導かれるのも何かハマらない。
なによりネガティブなきもちを共有することは言葉にするだけでつかれる。




だけど海だけは、
どんな悩みを言おうが一定の間隔でいったりきたりしているだけでほかの反応を示さない。
声に出して伝える必要もない。
誰かにあたしの悩みが知られることもない。
当たり前だ。
だけど、その当たり前こそがあたしが海にいきたいと思う理由なのだ。

海に向かって一方的に、心の中の思いを心の中で打ち明けるだけ。それだけで負の感情で埋まっていた部分が温かいもので満たされて、まっさらな気持ちになれるということを知ったから。




もし、あたしのような人たちが他にいたとして、
海に人々のネガティブな感情がひろがっていたらあまりにも不憫だと思うが、地球の7割を占めるその大きな器に免じてちっぽけなあたしたちの我儘な行動をゆるしてほしいとふと思った。


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