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ものづくりの日々

毎日「生きる」を重ねてきて、どうしてこんなに長く旅を振り返っていなかったのでしょうか!(という書かない屁理屈デス)

今月リリースする新しい”作品”であるシアバター(ガーナ発天然保湿剤)を作るために、考えたり、動いたり、なかなか忙しい日々を過ごしています。

シリコンバレーで有名なPlug and Playの渋谷を訪ね、オフィスを借りる前の見学をし、

都内にある充填工場を訪ねて打ち合わせをしたり

御徒町にある文化屋さんで個装箱のオーダーをしたり

そんな中、強力なさそり座新月の引力なのでしょうか。これまで避けていた岩手行きが、悩んだ末それしか方法がない!ということで急遽向かう事になりました

岩手の南に位置する私の出身地はメジャーリーグで大活躍の大谷さんと同じ町、中学校も同じというローカルぶり。今でも実家があり、両親が暮らしていますが、心理的に距離を感じる場所

なのに、行かなくてはならない状況となり、週末の夜行バスに飛び乗り盛岡へ。寒い東北の地に夜明けの5:50AMに到着

ものづくりの旅をするはずが、何故か「人生のはじまりに失ってきたものを確認する旅」になっている現実

20年以上、制作人として生きてきて切に思うのは、創る=自分の素にどんどん近づいていくこと

創れば創るほど、自分とは何者か、を追及していくことになる

そしてその過程で『不要な感情』や『不要な思考』をいかに削げるかが創造の前に必要だという真実

作品がどう人のこころに訴えられるかが、実はこの1つの事実で決まる気がしてならない

つまり、今私がしている「旅」は

長年の間に無意識、有意識の中に溜めてきた“要らないモノ”を削ぎ落した上で、しっかりと、ブレない内面を表現していくために、必須の行程なんだと感じている

というか、そうとしか思えない天の采配が時に身も心も凍らせるから、逆にポジティブな解釈をしてみている

両親は相変わらず世間体や人目を気にして、娘の感情などお構いなしで、コロナを理由に実家に寄ってくれるなと言う

日本に5ヶ月滞在してもなお、それを1人娘に言えちゃう両親に私の子ども達や夫の方がショックを酷く受けていたけど、

実際のところ、私はその冷たさの中で生育してきた

助けを求めると拒絶と無視されることは私には慣れっこ


私が育った環境に『安心』は最初から存在したことがないし、産まれる前からそうだった。これはきっと“普通の家庭”で育った人=“親が子を愛するのが当然”の家庭に育った人には絶対に理解できない毒親育ちの特徴的なことであり、両親兄姉に愛されて育った夫にも人として信じられない過酷さでよく死なずの育ったね、と言われる

両親にそれを伝えても無意味だ、閉じた心で暮らしているから


むしろ、腹を決めて、成長した自分が、幼かった頃の自分自身に足りていない愛情を補うために、こうして今、岩手に降り立ったんだと思う

こんな旅の行程に身を委ね、こころを委ね、それで頂くご縁があったらそれに感謝して過ごす


私のこころは今、以前よりずっと平和です

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