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慣れた日常よりも、新しい”リアルな体験”を選ぶこと 〜宿選び編〜

旅も約5か月が経過した。

長いようですが、でも、その時その時のベストを尽くして

私が長年求めていた「旅のリアルな経験」を積んでいるから、たまに”移動疲れ”しつつも、これまで飽きずに変化の連続する”旅しながら暮らす”を楽しんでいます

せっかくひとりで、期間を決めず、制約条件少ない旅をしているので、新しい「暮らしかた」や「他の方法実践者」のリサーチも兼ねて日々新しい挑戦をしようと模索しています

例えば、ホテルはオーソドックスにホテルに滞在は、気楽で良いし、快適。だけど勝手な時間の使いかたが許されるけど、新しい情報や面白い人に出逢える確率が旅ではどうしても低くなり、中期的に見ると発展性が少ないのがネック。自分の殻に閉じこもってしまいがちな側面も。自炊できないと外食続きは体調管理にも支障がある。
ゲストハウスで暮らすことは、だいたい共用スペース+ドミトリーベッド1つ分のみ占有する場合が多いので、落ち着かないこともあるし、着替えもその場でパッとできない不自由さがあるけど、色んな人の働き方、暮らしかたを身近に、リアルに体感することができる。シャワーブースだけのところが多いからお風呂に浸かりたい!ベッドだけの占有スペースだと身体が伸ばせない、ということがネック。キッチン付きはありがたい。

最近行った上野にあるtocoというゲストハウスは築100年以上の和の家。利便性の良さもあり、これまで訪ねたゲストハウスのなかでもかなりにぎやか。20代の若者がほとんど。ここでは、いろんな思いで集まり暮らす若者たちが、空間とコミュニティーのマジックにより、次第に日々打ち解けてくる様子を観察していた。昼間はリモートワークをダイニングで、夜ごはんを一緒に作って食べる若者たちの様子に(たぶん親子くらい年が離れている)、「地の繋がり」「血の繋がり」とは違うほんわりとした温かさを感じた。ここに未来形の人間関係があると感じた。

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インパクトがやっぱりNo.1の熊本県にあるサイハテ村。数年行きたくてやっと訪ねて1週間泊ったけど、訪ねる前より謎が深まる不思議さ。確かに、他の”行った”人に聞いても的を得た回答を得たためしがない。「お好きにどうぞ」が合言葉のサイハテで、「え、ここまで自由?」とびっくりすることが多々あり、イコール「自分のリミット」が見えやすくて、必要のないものは捨てちゃえという場所のオーラ?があって、変容を目指す人にはピッタリ。実際、若者たちがサイハテに集い「インカム」という月3万円で住居・食べ物が賄える制度を利用してきていた。サイハテにはよくありがちなヒエラルキーがたぶんない(まだ見えないだけか?)。お好きにどうぞ、が合言葉のサイハテでは、本当に言葉通りの”カオスの中の平和”が存在している。

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旅の宿は、旅で出逢った方に「ここがいい」と言われた場所にピンポイントで。プラス、試している旅のサブスクサービス2種から選択

定額全国住み放題サービスADDressも利用しているけど、ADDressのラインナップから「個室」を出来るだけ避け、上記の理由から「ゲストハウス」を選択するようにしている。普段ひとりで行動することがほとんどだから、せめて宿では、人の気配とか会話が出来る状況にもっていくことは精神衛生的に、そして情報入手として必須。いろんな、そして不思議な出逢いも多々あり、思考の幅が広がっている。バリバリのAI技術者、お坊さん+会社経営、エンジニア、歌い手さん、ギフトで生きる人、などなど。

私の場合、ADDressとホテルのサブスクサービスHafuを組み合わせている。理論上、定額住み放題サービスは手ごろだけど、実は予約しにくいルールが存在していて、Max2週間先までしか予約が出来ないのと、行きたい場所に拠点があるとは限らないので1か月丸々予約出来たり、移動できないのが現実。ちなみに私は11月は半分の14日のみのADDressサービス利用となりました。

色んなスタイルの暮らしかたを試してみて、今の情報時代にぴったりと思うのが結論として「ゲストハウス」で過ごすこと、実に「風の時代」らしさなのです。基本ひとりで移動しているので、行く先々で「人との出逢い」や「新しい情報や経験」にリーチするのも大事な目的のひとつ。出来るだけ新しい人と会えるような舞台設定、これがゲストハウスだと思う。

ゲストハウスの定義とは

1.宿泊客同士交流で水廻り設備が共有きるスペースが存在

2.宿泊費が安い

3.水廻り設備が共有

4.基本的に相部屋での宿泊

5.多種多様な人が集まる


ところで、旅の本当の目的とはなんだろう

ゲストハウスは舞台装置としては優秀。先の見えない”未知の時代”に突入した私たちにとって、もしかすると未来を自ら実感できる最先端の”器”な気がしている。

ここで、旅、について考えるテーマに立ち戻ると、旅の目的とは、新しい人と出逢う事でも、新しいことを知り、学ぶ刺激でもなくて、

「自分の殻を削いでいくこと」が旅の目的ではないでしょうか

日常から離れ旅をすること、新しい経験をすること、人に逢うこと

これらは単なるスイッチのひとつであり、本当は、その場に居ても意識を変えることで日常が非日常に変わるんだと思う。この観点からすると自宅で普段通りの暮らしをしながらでも変容・旅・自分の殻を削いでいくことはできるはず。ですが、人は弱いところがあり、真に満足していなくても「満足しているフリ」を上手にしようとする生き物ともいえる。

旅を上手に切り取ると「リアルに充実」したように意外と簡単に見せられるけど、本当に集中しなくてはいけないのは自分の内面の変化ではないか、というのがこの5か月の旅で感じること

予想外のことが起きることが多い旅のなかで、どう自分が焦り、落ち着き、リラックスし、心地よさを感じるか否か… そんな感情や感覚の機微を自身で確かめるために体験の”リアルさ”は必要だけど、旅で満たされるべきはお腹ではなくて、こころ。しかも何かを足すのではなく、ひたすら「引く」「引き算」

ゲストハウスでびっくりするほど価値観が違う人と暮らしを共にして、わざと摩擦がある状態に身を置くことで、自分の「あたりまえ」がそうではない事にいやが上にも向き合うことで、自分のなかの「壁」の存在を知り、認め、手放す

これがこのnoteの最初に文字の”写真”を選んだ理由

新しいものを見るのではなく「新しい目をもつこと」が発見の旅

そしてこれは旅しながら暮らすことと無縁と”無意識”に思い込んでいて聴こえのいい”枠組み”や”立場”に自らを意識で縛り付けている全ての人に、お勧めしたいこともあります

そんな感じで旅の第一章はもうすぐ終了、少なくとも与えられた課題に挑戦した自身にいったんお休みを

もうすぐ次の場所に移動です

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