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3年間の地域おこし協力隊を終えて

第二のふるさと穴水町。

石川県穴水町。未だに勘違いされることもありますが、この町は私の出身地ではありません。ですが、本気で第二のふるさとだと思っているからこそ、また穴水町に住みました。

私の出身は北海道千歳市です。

穴水町には、能登空港開港のタイミングで空港の警備を仕事とする父の転勤により家族で引っ越してきて、小学校6年生~中学校3年生までの4年間住んでいました。(穴水小学校・中学校卒です)

能登半島地震の時もいました。ですが元々次の日に引越しが決まっており、変わってしまった町のために何も出来ず、まるで逃げるかのように引っ越したことがずっと心残りで、またいつかあの町に住みたいなと思っていました。

穴水町に来たのは、ざっくり話すと、北海道の制作会社で何のためにデザインを続けているのか見失いそうになった時に、あるお客さんとの出会いで「町づくり」に関心を持ち、「町の人と近い距離でデザインがしたい」「町づくりに携わりながらデザインがしたい」という夢が出来て、その時に穴水町で過ごした日々を思い出したのがきっかけです。

大人になった今なら、何か町のために力になれる事があるかもしれないと思いました。

この自己紹介も穴水町に来て、何度話したか分かりませんが、縁もゆかりも想い出も青春も、この町に対する想いはいっぱいあって、大好きだった町、だからこそ大人になってまた穴水町に住みました。

ここからさらに、長くなるかと思いますが、最後まで読んで下さると嬉しいです。

地域おこし協力隊としての活動

私は「移住定住支援員」として任命され、主な仕事内容は町のPRや移住希望者への窓口対応、アテンド、空き家案内、移住フェア等への参加などでした。楽しみだけれど、隣に住んでいた舞谷さんや、母が昔働いていたパン屋さん、そして穴水中学校の同級生以外はみんな私の事を知らない。

だからこそ1年目はとにかく顔を広げようとして色々な集まりに参加しました。

ちょうど私が来た時期が、移住希望者のアテンドが毎週のように入っていたので、希望者の方と一緒に穴水町を巡りながら、移住してきた先輩に会って話を聞いたり、色々な場所を巡って私自身も穴水町を思い出しながら勉強しました。

お偉い方々に女性1人混ざって、阿蘇地方に世界農業遺産の視察に行ったりもしました。(皆さんとても親切にして下さって有難かった)

学生インターンシップの受け入れを担当し、学生と商店街の皆さまを繋ぐお手伝いをしたり、県の協力隊研修に参加したり、プラットホームづくりの会議メンバーとなり、人前で発表する機会もありました。

プライベートではテニスに参加したりしていました。

色んな所に顔を出す度に、「北海道から戻ってくるっていう新聞記事見たよ!」とか、「〇〇(同級生)の母やけど分かる?」とか声を掛けてもらってとても嬉しかったのを覚えています。

その中の一つ、まちなか再生協議会との出会いは私にとって大切なものになりました。(正直これだけで1記事書けるくらい想い入れある)

穴水町でデザインの仕事をいただけるように。

月に一度開催されるまちなか再生協議会(現在は誰でも気軽に参加できるように、「ふれ愛wakuwakuサロン」に会議の名称変更)

私は皆さまとの出会いによって「ふれあいテント市」や「カフェローエル」、「ハロウィン」、「まちゼミ」などのイベント広告のデザインの仕事を定期的にいただけるようになります。(少しですが、こちらに載せています)

と言っても何回か会議に参加するうちに私が勝手に「ふれあいテント市」のポスターを作って見せて図々しく私ならこう作りますとアピールしたのが最初の始まりでした。笑 

今思い出しても図々しかったけれど、穴水町で議会だよりやかきまつりポスター、商品券、ふるさと納税返礼品など役場や他の施設からも紙媒体のデザインの仕事をいただけるようになったり、大仏庵文化センター、等のwebデザインをいくつかいただけるようになったのも、きっかけはまちなか再生協議会の皆さまからお仕事をいただいたものがどんどん広がっていったからだと思います。

本当に感謝してもしきれないし、穴水町を離れてもお願いして下さるのは本当に有難いし、そのおかげで私は定期的に穴水町に来れます。

気が付けば、まちなか再生協議会の皆さまに出会えてから、いつの間にか「町づくりに携わりながらデザインをする」という夢も叶っていました。

知らない方のためにもご紹介すると、この団体は「商店街通りを盛り上げよう」とする有志の方々が集まって月に1度会議する事を欠かさず130回以上も続けていて、定期的にイベントも開催するのでそれの企画や準備、運営で大忙し、さらにスタッフは全員ボランティアなので、皆さん自分の仕事もある中、皆で何かを作りたい、この通りを良くしたい、そんな想いのある参加したい人だけが集まる団体なのです。

同じ想いの人達が集まっているので本当に皆さんチームワークが良い、皆で月に一度集まって会議して、イベントどうするか話し合って、準備して、皆で運営して、私は皆さまの中に入れたことを本当に嬉しく思うし、皆さまが私にとっての誇りです。感謝してもしきれない人生の中で出会えて本当に良かったと思う団体です。(書いているだけで泣きそう・・・笑)

2年目から空き家の紹介のお仕事も本格的に始動

協力隊としての活動は2年目に入って、全国版空き家バンク「LIFULL HOMES」に登録したことにより、空き家調査への同行・写真撮影・希望者対応・空き家案内の仕事が増えました。

その中で特に印象的だったことは先祖代々大切に守られてきた家を手放さざるを得ないのは悲しいけれど、大事にこの家を使ってくれる人に住んでほしいとお話されていた家の持ち主さんと、家の状態を変えず、そのまま残して大切にして住んでいきたいと話された移住者の夫婦とのマッチングでした。

両者本当に喜んでいて、ご夫婦も地域に溶け込んでいて、持ち主さんからわざわざお手紙で感謝のお言葉をいただいた時は感動しました。

空き家1つにも色々なストーリーがあって、協力隊としては間に入ることしか出来ないけれど、その中で出来るだけ両者の想いを聞くことが出来るのかが大切なお仕事でした。難しい事も沢山ありましたが、面白かったです。

積極的な協力隊ではなかったと思う

私は決して積極的ではありませんでした。じゃんじゃん企画をするわけではないし、協力隊としてサポートする側、裏方でありたいと思っていたからこそ、町づくりを一生懸命していきたい人達の想いを実現するお手伝いがデザインで出来たら、と思っていました。

地味にコツコツとデザインしたり、空き家掲載のための写真撮ったり、移住支援の仕事したり、他人から見れば消極的だったかもしれないけれど、目立つために来たわけでも、企画するために来たわけでもなければ、地域おこし協力隊は名前の通り「地域おこしの協力をする人」だと考えていて、主役は町民。外から来た私たちは外の意見も取り入れつつ、地元に根付いた意見も大切にした上で、協力するべきだと思うんです。(これは私個人の意見です)だからこそ町で色々されてきた人、長年守られてきた人のことを心から尊敬していますし、お話も興味深く聞かせていただいています。私は元々、自分が主になる必要はないと思っていたし「町の人と一緒に想いのある人達と一緒に町づくりに携わりたい、その想いをカタチにするデザインがしたい」とはっきりとやりたい事やするべき事が見えていたので、全く後悔はしていません。

むしろ商店街の皆さまと一緒にイベント運営したり、その広報、デザインに携われたり出来たことが何より幸せでした。そして数少ないデザインというスキルを使って町に沢山作品を残させていただきました。少しでも多くの人の目に触れていたら嬉しいです。

受け入れてくれた役場の皆さま、町民の皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。

まだまだ伝えたい事は沢山ありますが、私が穴水町でやりたかった夢「町づくりに携わること」「町の人と近い距離でデザインの仕事をすること」が叶えられたのは支えて下さった皆さまがいたからです。

正直、途中で辞めようか本気で悩んでいた時期もありましたが、最後まで続けられて本当に良かったと思っています。

手先も不器用ですが、想いを伝えたり、感情を表に出すのも不器用な私を受け入れてくれて本当にありがとうございました。

最後になりましたが、仕事で関わった全ての皆さま、応援してくれた町民の皆さま、そして穴水町へ送り出してくれて応援してくれていた家族、さらには縁もゆかりもないのに穴水町に来てくれて、卒業まで引っ越しするのを待ってくれた旦那にも感謝しています。

本当にありがとうございました。

県内だし、大げさだし、またすぐ穴水町に来るのに、ここを離れるのは正直とってもとーっても寂しいです!!!!!!!!!!

ですが、これからもお仕事で穴水町には度々来るので、今後もどうかよろしくお願い致します。

最後まで読んでいただきありがとうございました。



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