砂漠の町、ジャイサルメール。
コロンビア人、ホアナとの出会い。
わたしが砂漠の街ジャイサルメールの安宿、パレスイントーキョーに泊まっていたときのこと。
まず名前に笑った。
ネーミングセンス良すぎ。
安宿のくせにプール付きで、ルーフトップからはアラジンのお城が見えていた。
お部屋も砂壁にハンモックがかけられていて、すごくいい雰囲気醸し出してる。
長い長い列車旅のあとだったから疲れて、衝動的に服着たままプールに飛び込んだ。
もちろん水着なんて持ってきてなかったから、オーナーに言ったら「そんまま飛び込めよ。どうせあとから洗うから。」って。
運動音痴だけど意外にもばりばり泳げるあたしは1人で2時間ぐらい遊んでた。 「Shall I swim with you?」 とっても綺麗なパツキンの美女が一緒に泳いでいいかと聞いてきた。 「of course!(キラキラ)」即答。
みすぼらしい日本人女性が1人で無我夢中で泳いでる姿がよっぽど面白かったのか、たくさん話しかけてくれた。 「あなたの名前は?」「歳はいくつ?」「旅はひとりで?」「どんなところに行ってきた?」「これからなにするの?」 質問ばっかりだった。
しどろもどろ拙い英語で返事をし、わたしたちは仲良くなった。 「あなたはどこの国から来たの?」 ホアナはよっぽどわたしのことが気に入ったらしく、ニコニコ話してくれる。 「日本だよ。」 そう言うと、彼女は旦那の方を振り返り、プールから静かに上がった。 「あなたのふるさとは大丈夫?」 急に真面目な顔で聞いてきた。
忘れもしない、2011年3月11日。
わたしのインド旅は、東日本大震災が起こってから半年後だった。 「わたしたちはコロンビアで、日本の地震や津波のニュースを見て涙が溢れたの。」 「これが同じ地球で起こっていることかと思うと胸が張り裂けそうだったわ。」 自分の心臓に手を当て、とても哀しい顔をした。 「わたしたちにもできることはないかと考え、周りの友達と協力して、コロンビアの綺麗な水や食料などを支援物資として送らせてもらったの。」 「わたしたちの心はいつもあなたたちと共にあるわ。」 わたしは涙が溢れた。
地球の裏側、南アメリカに住む彼女たちが、国はもちろんのこと、言葉も文化も肌の色も全然違う、会ったこともないわたしたち日本人のことを思い、涙を流し、できることをしてくれたこと。
東日本大震災当時、わたしはタイから帰国したばかりでニュースから流れてくる映像はまるで映画を観ているようで信じられなかった。
現地に行くことはおろか、献血に行っても海外からの帰国後すぐで病気を持っているかもしれないからと断られた。
たくさんの人たちが建物に押しつぶされたり、津波で流されたりで血が足りなくて、なにもかも失って苦しんでる人が同じ日本で溢れていたというのに。
わたしはただただ、指をくわえて涙を流すばかりだった。
逃げていたんだ。
こわくて、こわくて、こわくて。
うそだと思いたかった。
あたしはいつも逃げてばかりだった。
けど、ホアナのまっすぐな瞳に、まっすぐな心に、勇気をもらったんだ。
日本に帰国してから、わたしはわたしにできることを探した。
それが保養だった。
原発事故後、家を失い、家族を失ったばかりではなく、これから先何十年と放射能汚染という目には見えない恐怖と闘うことになった人たち。
せめて長い休みの間だけでもと、子どもたちを県外に出してその土地ならではの体験をさせるという取り組みを全国で行っている。
わたしはそれを長崎でさせてもらうことになった。
この活動をはじめてから、毎年子どもたちを受け入れて五年目を迎えようとしている。
はじめて受け入れた子はもう高校生に。
震災後、2回福島を訪れた。
そこで見たもの、聞いた話、見た景色。
きっと、あのとき、砂漠の街でホアナという女性に出会っていなかったらずっと目を背けたままだった。
わたしの背中を押してくれた、地球の裏側の人間。
もしわたしが失恋してなかったら、旅に出ていなかったら、旅先をインドにしていなかったら。。 今までわたしが選んできた選択肢はなにひとつ間違っちゃいなかった。
すべての経験が、今のわたしを創り出してる。
Life is wonderful.
ありがとう、ホアナ。
だいすきだよ。
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