26歳、ながさきPEACEクリエイター。
【《被爆の継承》のための本づくりに挑戦!】
はじめまして。
私の名前は、松永瑠衣子と申します。
生まれも育ちも長崎の26歳です。
ここ長崎は、山や海に囲まれ自然豊かで 地元の野菜や魚が新鮮で美味しく、歴史も深く、伝統文化も大切に守り続けられている街です。
わたしは3月まで4年間、小学校の先生をしていました。
子どもたちは素直で一生懸命、やんちゃでいたずら心も忘れない。もう可愛くてたまらないんです。
そんな毎日が楽しくて、素晴らしい環境にいたにも関わらず、
わたしは「先生」をやめました。
わたしの遺伝子には、決して忘れてはならない「記憶」が残っています。
「1945年8月9日11時2分」
長崎の街には、一発の原子爆弾が投下されました。
一瞬にして、人も街も動物も植物もすべて真っ黒焦げになり
なにもかも奪われてしまったのです。
原爆投下直後に死の灰が舞い、死の雨が降り注ぎました。
街は燃え続け、家を失い家族を失い、愛する人を失った悲しみをどこにぶつけようもなく、昨日まで過ごしていた「ありふれた日常」がまるで嘘であったかのように。
わたしの祖母は当時11歳で、被爆しました。
その祖母の孫にあたるわたしは、被爆3世と呼ばれています。
たった一発の爆弾によって奪われた、たくさんの「命」を背負ってきたのが「戦争体験者」で、貧困と闘いながらも、病気と闘いながらも、必死に生きて生きて生き抜いたからこそ、今の長崎がある。
わたしたちの命のルーツをたどると、必ず戦争体験者に行き着く。
それは「むかしむかしあるところに・・・」というものではなく、73年前に生きた人たちが本当に体験したことなんだって。
戦後から73年の月日が経った。
10年前、わたしが16歳のときに実際に会ってお話しをした被爆者の方々は、もう2割もこの世にはいらっしゃらない。
「今」、手の届く、声の聞こえる距離で聴いておかないと、一生後悔する。
だからわたしは「先生」をやめてまで、時間の許す限り、戦争体験者に向き合って、お話しを聞こうと決意しました。
10年後、当時を知る「語り部」がどれほどご存命で、元気に活動できるかなんて誰にも分からない。
だからこそわたしは、「今」、彼らの「思い」を受け継ぎたい。
被爆者で、わたしに命を繋いでくれたおばあちゃんの「スエ子」と、被爆者で、語り部さんとしてわたしの人生を大きく変えてくれた「作江」をモデルにした物語。
家族を守るために「被爆」したことを隠し続けていた「被爆者」と、自分の悲惨な体験を語り継ぐことで二度と戦争の起こらない世の中をつくろうと努めた「被爆者」。
まったく違う境遇に生まれ、まったく違う人生を歩んでいった二人。
その二人が たった一度だけ、同じ時間にまったく同じ体験をした。
それが1945年8月9日11時2分である。
戦時中にも、貧しくはあったけど今と変わらない喜びや幸せがあった。家族でご飯を食べれることの幸せ、友達と遊べることの喜び、好きな人がいるということ。。
「ありふれた日常」を聞くことでもっと身近に感じ、そこから「戦争」が如何に悲惨で残酷なものだったかを「感じる」。
だからこそ「被爆体験」という部分だけ切り取るのではなく、彼女たちの歩んできた「人生」を知ることに大きな意味があると思いました。
「知る」ことから、主体的に「考え」、どうやったら二度と戦争を起こさない世の中をつくれるのか「行動」していく。
そんな人たちを一人でも多く増やしていきたい。
「これは、わたしが生まれるまでの物語である。」
そんな26歳の挑戦です。
日々戦争体験者の取材と勉強、執筆活動頑張ってます!
本の出版や、活動を応援していただけるとありがたいです。
7月1日にこのプロジェクトのスタートアップイベントを行い、20名ほどの方が集まってくださり、今後イベントのスタッフとしてとか色んな形で携わっていただくことになりました!
7月16日に行った、語り部の「下平作江」さんとの講演会も50人ものお客さん、テレビ局も3社と新聞2社に来ていただき、活動を紹介していただいてるところです。
【 今後の予定 】
👉7月26日〜 4日間
被爆者 城臺 美彌子先生と福島の家族を保養
👉7月30日
大阪市人権教育研究会で先生たち向けの講演会
👉8月9日
ピースライブ 19時〜
山川剛先生( 81)と講演会 FUNKISTボーカルのライブ
👉8月28日
四角大輔さん(元ソニーミュージックプロデューサー)と対談 19時〜 長崎総科大学
👉8月29日 四角大輔さんと鹿児島の知覧特攻平和会館へ
👉8月31日 四角大輔×菅本香奈(CAMP FIRE)×松永瑠衣子
「生きる」をテーマにトークライブ予定。
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