創作意欲
創作意欲についての話をする。
人は心が動いた時、表情、言動、行動といった何かしらのアクションで自分の思いを表現しようとする。
私にとっての"それ"は文字に起こすことだ。
今自分が持っている感情を適切に、正確に言語化することが快感でたまらない。だから、自分の感情や思いを適切に表すための材料である言葉が、私は大好きなのだ。
今まで形容できなかった感情、言葉にならなかった思い。それらに名前がついていくだけで、少しだけ呼吸が楽になる。
だから、私の創作意欲は私を救うことに起因しているのかもしれない。
私の書く文章は自伝的だ。他人の物語を書くことにとんとむいてない。
それは私の言葉の引き出しは自分を表すために、言い換えれば私を救うためにまた知るために集めた言葉たちしか詰まっていないからだ。私を構成する言葉は他人からもらったものではあるが、それらはもうすでに私の血肉であり、他人のことを表す言葉にはもうなれない。残念ながら。なぜなら私は私の感情しかわからないからだ。どれだけ他人の感情が手に取るようにわかったと感じても、それは思い上がりにも甚だしい。
だから私は他人の物語を書くことはできない。私がこの主張を覆さない限りは、二重人格にでもならなきゃ己の言葉で己以外を表すことなどきっとできない。それをできる人が、他人を救うことのできる物書きなのだろう。
それができないから私は私を表し、そして私を救うのだ。
私みたいな矮小な人間でも、紙とペン(あるいは今こうやって文字を打っているスマホも)は受け入れてくれる。それらは無機物ではあるが優しさも温かさも持っている。
その温もりに甘えながら今日も私は言葉を紡ぐ。他でもない自分自身を救うために。