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警告

アジカンだったらRe:Reが好きです、藤佐です。
こんばんは。今日は、タイトルは怖いですが、全然怖くないです。大丈夫。


今更ですが私は私のことが嫌いな人が嫌いです。
私は私のことが好きな人が好き、と言った方が正しいかもしれないですね。


もともと、無限に友達を増やしたいようなタイプではありませんが、
ご縁があった人とは末永く仲良くしていきたいと思っています。
お恥ずかしながら浪人中に大体の人格の基盤がようやくできてきたので、高校以前に仲の良かった人とほとんど関係が続いていないのですが、不仲や仲違いではなく、ほぼ前世みたいな感じだったからです。あるいは、胎児。それでも当時からのよしみで、今でも遊びに声をかけてくださる人が何人かいるにはいるのですが、正直気が重いです。別に本当の自分を曝け出したところで嫌うような人たちではないでしょうが、単純に、ノリが違うのです。

と、高校時代の話はいいとして(当時、もっさりとした鏡に映った自分を見て、我ながらモリゾーみたいだなと感心したものです)大学時代はいろいろありましたから、私としては悲喜交々、大事にしたいか、いっそのこと全部投げ打ってしまいたいかと言われれば後者の方が大きいと言っても過言ではありません。もちろん、大学時代(特に、学部3年の後期以降)には自分でも大きな発見がありましたし、その発見というのはつまるところ人は人間関係に縛られずとも自由に生きていける、というのは、言ってしまうと陳腐に聞こえますが、ニュアンスとしてはその当時いじめに遭っていた中学生に養老孟司が放ったという「君の人生には花鳥風月がない」というようなことです。

人生に花鳥風月、つまり自然科学、詩、信仰・宗教、文化……そういったものがあれば生きていけるというのは当時、傷心だった私としてはだいぶ救われる想いがあったものです。今でこそ「推し活」ということがそれに相当するのかもしれませんが、要は自分以外のものに心打たれるということでしょうか。そういう余地、余白が人の心には必ずあるはずなのです。

そしてそういう余白がない人間は必然的に人から疎まれがちです。だって自分のことしか考えていない人なんて、気持ち悪いじゃないですか。私はそう思います。

私は周りの人に自分がどう思われているか知りませんが、自分ではかなり冷静で、分析的で、冷笑的な部分のある人間だと思っています(言っておきますが、それが頭がいいということと必ずしもイコールではないということは念の為書き添えておきます)。だからこそ、時々は自分を鼓舞するようにバカをしたくなるのです。性分として、どうしようもなく冷静だけれど、常に冷静でいたいわけではない。というか、冷静に、激昂することが多いです。私が特に冷静なのは仕事をしている時と、怒っている時です。関係ないですけど、怒っている時に黙ってしまう人は冷静なのではなくて、単に非協力的なのだと思っています。私は怒ったときは相手に嫌だと感じている点をなぜ嫌なのか、どうしてわざわざそのことを伝えているのかについて冷静に丁寧に執念深く説明します。だってどうせその時にはすでにお互い嫌な感じになっているのだから、日頃気まずくて言えない思っていることも伝えてしまった方が合理的じゃないですか。

前置きが長くなりましたが、私は怒っています。
ずっと怒っています。

そして、私は私のことが嫌いな人が嫌いなので、大抵の場合において前触れもなく縁を切ってしまいます。

※面識ない方からの友達リクエストは基本的にお受けしません。
※一定期間交流がない方など整理させていただくことがあります。
※非公開アカウントのため、FB外への投稿の転載は禁止です。

facebook(怒りの)自己紹介文より

自分のことを「情の厚い」なんて厚かましいですが、情の厚い人こそすっぱり人を切るそうです。すっぱり、というのはあっさり、ではありません。
その人なりに、我慢して、我慢して、我慢した結果、もう我慢しきれないというタイミングでプツッと縁を切るそうです。

そう書いてある文章を読んだときに、あ、私だ、と思いました。
もちろん、いつでも、そういう人がいます。


どうか必要な縁がこれ以上切れませんように。


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