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やっぱり奥深い、日本建築の良さとは?①

 京都とかに旅行などに行くとき、日本の昔の建築について触れることがあるときに毎回思うことがあるのですが、「これのなにがいいの?」
 現在、建築を大学で学んでいる身でありながらそれが、全く分からないというのが正直な感想です。ただ、たまに、美しいなとか、夕日などの自然と一体となった風景などをみると美しいなぁって思う時があり、その美しさの理由ってなんだろうか?、っと思い調べてみました。
「間(ま)・日本建築の意匠」 著者 神代雄一郎 鹿島出版界 SD選書 

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一.日本独自の文化「間」

 実は、日本の建築では「間」という言葉がよく使われます。この間には3つの意味合いあります
①長さ
日本の建築は柱によって構成されており、その柱と柱の距離を「○間」と言います。古来の寸法の基準ともいえます。
②面積
今の日本では坪という単位がありますが、昔は坪ではなく「間」という単位が広さを表す単位でありました。この単位は畳を敷き詰める際に間から坪に変わってしまったという経緯があるそうです。
 ちなみに、今使われている「メートル法」は地球の直径を基準にして考えられているそうです。一方、坪などは人の身体や木の性質をもとに経験則で作られた単位らしいです。どちらがいいというわけではないですが、人の身体にフィットするのは坪や間などの単位なのかもしれません。
③部屋
部屋の用途を分類したり、部屋を区切ったりするときにも間というのも使い、「間仕切り」や「間取り」などが言葉としてある。

 実は、この”間”という言葉は翻訳されにくく日本独自の概念だと言われています。その理由として建築の作られ方が海外と日本では大きく違うからだと言われています。


 上の写真がヨーロッパとかの昔の建築のイメージだと思うのですが、ヨーロッパは石という材料を積む積積造という構造形式が多いです。一方、日本は木の柱によって構成されます。いわゆる木造軸組工法というものです。つまり、木という材料によって、独自の建築構成を得た日本では、この間(あいだ)の長さや広さや部屋の区切り方などが他の国より重要のため、この間(ま)という概念が重要となったということです。

二.日本建築の原型、そして成長

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 では、どうやって間という概念が日本の建築の中に入り込んでいったのか?この疑問を日本建築の成長の過程から読み解いていこうと思います。
 上の写真は日本建築の原型として本(P29)で紹介されていたのです。左側は母屋の構造を表した図で、外壁よりも屋根が少しでている部分を庇(ひさし)というが、この庇をもった屋根と柱が日本建築の原型となっている。右側は法隆寺東院です。まさしく、左側の図のように柱と庇をもった屋根で構成されている。

①巨大化する日本建築

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http://suratsumu.kappadow.jp/archives/2005/02/11_161400」引用サイト
原型にあった柱と庇をもった屋根の建築から建築技術の発展とともに巨大化していった。そのなかには上の写真のように裳階(もこし)という構法によって庇を伸ばせたこともある。その結果、外部との関係性が変化してきた。母屋を支える柱を太い丸柱、庇を支える柱を細い角柱にし、内部→庇→外部のように多層的な空間を形成していった。建築的にいうと内部と外部の「中間領域」を作ったのだ。

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イメージはこんな感じ、内部空間と外部空間をそのまま繋げるわけではなく、庇の下という内部と外部の中間の両方の要素を持つことで内部と外部をゆるやかにつなぎ、内部でも外部でもなく、内部でも外部でもある空間

②拡大する日本建築

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 日本建築は単純に建物が大きくなるだけでなく複数の建物が結合することで拡大していく例もある。その結合方法の1つにというものがある。上記の写真はみなさん知っていると思うが、厳島の図面だ。回廊というもので本殿などの中心と客人神社、能舞台を繋げている。この海に面した立地を生かし、自然を内部に建物内にいても感じられるように、回廊というもので繋いでいる。建築的にいうと外部空間を内包しているという風な言い回しになるかもしれない。

次回は皆さんしっている清水寺でも使われている懸造を読み解いていこうとおもいます。

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