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[風景①]原風景と脱市場化

どーも、こんばんわ。
最近、街に関しての本をいっぱい読んで妄想が膨らんでいるので、またまた、考察を書いていこうと思います。(そろそろ、図書館を進めます。)

今日は、「人新世の資本論」という本と「風景に関する文献」から考察しました。結論から言うと、

原風景(昔からある地方の風景)はその風景のある都市を脱市場化させないと永遠に守ることはできなくないか?です。


資本主義と環境破壊

 資本主義において最も重要なのは当たり前ですが、資本です。この資本には現在のお金だけでなく、未来の価値も含まれます。だから、観光地とかの自然の風景は残って行くことができます。観光客がお金をその土地に落としてくれるからです。
 ただ、観光するほどでもないけど、日常の中にあるちょっとした風景ってありますよね?都会に住んでいるともしかしたら、自然ではなくて街並みとかにそういう風景になると思いますが。
 しかし、もしこの風景が遠い海外の人にとってとてつもない利益になるとしたら、この風景は無くなってもいいでしょうか?

環境破壊する巨大資本と環境破壊される貧しい地域

 環境にエコで話題の電気自動車では、銅、リチウム、コバルト、ニッケルなどのレアメタルが多く使われています。

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 上の写真はコンゴ共和国にあるコバルトと銅がとれる採掘場の様子です。その土地の安い労働力とその土地の風景を破壊して電気自動車は環境にいいと言われ、アメリカやヨーロッパなどの先進国の人々によって使われています。

 世界中がグローバル化すると言うことは、風景の破壊による享受もグローバル化します。それにより、私たちが行っている環境破壊は見えにくくなり、より環境破壊に対して無意識的に行われるようになります。

 しかし、日本は搾取する側だけにいるわけではありません。搾取される側になるかもしれません。自分が大事にしたい風景が海外の誰かの資本のためになることもあるかもしれません。グローバル化した今日、その風景は世界の誰かの巨大資本になった以上、守ることはできません。

だからこそ、私たちが大事にしたい風景を守るには、
脱資本化(資本主義から脱却する)するしかないのです。

 資本主義から脱却すれば、いくらお金を積まれてもその風景を守ることを優先することができます。お金に縛られていると、お金を積まれると風景を売ってしまいます。

地域コミュニティと脱資本化

 この脱市場化するには、「地域コミュニティ」が重要になってくると思ってます。

スクリーンショット (477)

 上の表は、個人から国というものまでのスケールを「資本の分配」と「空間のレイヤー」によって表した図です。(分からなかったらすみません。僕お個人的な見解です)
 資本の分配が今までは個人に分配されるか、国のどちらかにしか分配されませんでした。そのせいで、僕らは、「国の発展」と「個人の資産」の視点でしか考えることができませんでした。そこで、「地域の価値向上」という視点がもてるように、資本の分配を「地域」というゾーンを作る必要があります。この地域コミュニティがあることによって、人々が地域のために行動できるようになるということです。その結果、地域にある守りたい風景を守るために、巨大資本に対抗できるということです。

地域コミュニティによって運営される地域のための場所

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 上の写真はドイツで行われているハウスプロジェクトです。このプロジェクトをすごく簡単にいうと、

地域にできた空き家を地域コミュニティによって運営し、地域の価値の向上のための空間を創っているプロジェクト

です。このプロジェクトは利益のみを求めず、地域の価値をあげるために行われています。
 きっと、この土地に巨大なショッピングモールを作るために、土地の買収として大資本が投下されても、ここの人は土地を売らないでしょう。この土地の空き家などによって構成された風景を守りたいと地域の人たちが立ち上がるからです。

今回は、以上になります。途中、少しわかりづらい部分があったらすみません。


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