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人間の意地悪な心理 

結論いじめは無くならない。と考えている。
これは学校だけでなく職場など様々なところで発生する。
その為、複雑な人の問題はそれが起こることを前提に準備しておくとよいのではないか。

起きないことを前提にするのではなく、起きることを前提に準備しておく。
自分たちが自分自身を善人なのだと信じるのではなく、遺伝子レベルで悪い部分を持っているということを知っておくことは大事。

人間の意地悪な心理


人間の心理は元々とても興味がある。
心理学や脳科学の本など見ていると、「いじめ」は無くならないと言う結論に至った。

今回は脳科学者の中野信子さんが書いた本の内容を引用させて頂きながら、自分にも悪い要素があり、問題が起きる仕組みを見ていきたい。

「脳の使い方」  著:中野信子
「感情に振り回されないレッスン」  著:中野信子

なぜ群れになるのか?

私の個人の考えだと、群れがなくなり個で過ごすことが当たり前になれば、外れるものも発生しないのでは。。?なんて。
しかし、群れになりたい人達。なんで?

人間は本能的に群れたがり、身内びいきをしたがる生き物

「内集団バイアス」
と言う。
元々人間は集団を形成し、他の集団と戦ってきており、
その時に根拠のない優越感を感じられた方がモチベーションが上がり有利だったために、進化の過程で内集団バイアスがかかりやすくなったとのこと。
つるみやすい人は、種として本能に忠実ということ。

「感情に振り回されないレッスン」  著:中野信子

脳は人間同士を近くにいるように仕向ける

脳は人間同士を近くにいるように作られている。
群れを作りお互いを助けやすくするため。

「脳の使い方」  著:中野信子

日本人はもともと自己肯定感が低い
個人より「集団」の戦略に合わせたいタイプは、東アジアでは7割以上を占めるマジョリティ。
日本人は「少数派であること」を、心地よく感じない
みんなと一緒であることに心地よさを感じるタイプはとても多いということ。

「感情に振り回されないレッスン」  著:中野信子

協調的に振る舞うのは怖い目に遭いたくないから

協調性という「同調圧力」
集団の中で一人だけ抜け駆けをするような人を許さず、みんなが協調的であることで他人から足を引っ張られないようにしている。誰も得してはいけない。
「私が得をしないのだから、他の人も得をしてはいけないのだ」という考え。
「村八分」
という言葉もあるが、一人だけ大儲けしたり、抜け駆けした者は村から追放される。集団を和を乱す者を「制裁している」

「脳の使い方」  著:中野信子

日本人の脳は出る杭を打ちたい

協力的な行動を取る遺伝子を持った人は歓迎され、協調性がない遺伝子を持つ人は排除されてきた。
出る杭は打つという妬みの感情が遺伝子レベルでプログラミングされている。
妬みの感情にも良性と悪性があり、「良性」は人を成長させる。
悪性」は陰での悪口や足を引っ張る行動。
コネや袖の下に頼るような自分を価値を下げる行動につながる。

「感情に振り回されないレッスン」  著:中野信子


日本人は意地の悪い行動で社会を守ってきた

「感情に振り回されないレッスン」  著:中野信子

元々日本人は幸せを感じるホルモン、
セロトニンの量が欧米と比べて非常に少ない。欧米人約70%。日本人約20%。
日本人の97%はセロトニンの量が特に少ないそう。
農耕民族である為、生きるためにもお互いに協力する必要があった。

日本人は「他人の足を引っ張る」傾向が強い

実験結果から自分が損をしてでも他人が利益を得るのを邪魔する行動が見られた。

「感情に振り回されないレッスン」  著:中野信子

人は他人を叩いて喜びを感じる

「他人を叩きたい」
というのは人間の本質。
「シャーデンフロイデ」という「他人の不幸でメシが美味い」という気持ち。
現在人間はSNSのような他人を叩きやすいツールを手にしている。
「標的を見つけやすい」状況がある。

「感情に振り回されないレッスン」  著:中野信子

脳は誰かと比べなければ幸せを感じにくい

他人と比べるのは脳の性質
他人と比べるから不幸になる
脳には「他人との差」に鋭く反応する性質がある

「脳の使い方」  著:中野信子

今はSNSなど他人の生活が簡単に見えるようになった。
その為、自然と他人と自分を比較して優越感に浸ってみたり、落ち込んでみたり。
そんな方は、SNS断ちをしてみてもいいのではないだろうか。

自分の中にも相手を攻撃し、その不幸に喜びを感じる性質があるということを自覚することが大事。


一人を好む人もいる

周囲から浮く人間には、浮く人間なりの理由がある

「感情に振り回されないレッスン」  著:中野信子


本の中で、中野さんは学生時代に周りと話が合わなかったという記載。
私も比較的に群れに同調するのが苦手。特に誰かを否定するようなマイナス感情には同調しづらい。他人の良い噂は聞きたいが。

空気を読まないあの人は、将来大物になるかもしれない

空気を読まない人は日本社会においてとりわけ嫌われる傾向がある。
こういった人達は基本的に「人がどう思うか」について無頓着。
自分でやりたいことを一生懸命にやり、そうでないことは人に任せようとする。
人に迷惑をかけないようにする日本人の多くの特性と逆。
その為、抜きん出たスキルを身につけることにもつながる。

「感情に振り回されないレッスン」  著:中野信子

所属する集団や社会で浮かないことにむしろ要注意

所属する集団や社会で浮かないことにむしろ要注意。
知らないうちに周りと同じになる。
「ステレオタイプ脅威」自分自身を集団の社会的イメージに合わせるようになる。ネガティブな思い込みや固定観念なども意識しすぎるようになる。

「脳の使い方」  著:中野信子

「5人の法則」「類は友を呼ぶ」という言葉もあるので、自分の内面を高めていくことで、それに見あった人が周りに集まるという。
さらには似ている人が集まる。

私たちは誰しもが、集団の「生贄」になり得る

「ずるい人」を攻撃すると感じる強い快楽を欲するあまり、攻撃できる標的を探してまで叩くようになる。
人を叩く時にドーパミン濃度が上がり、強い快楽につながる。
もはや「ずるい人」、「ずるく見える人」に依存している状況。「正義中毒」
標的になるのは「ずるい人」に限らず、集団内でちょっとハズレているように見える人が狙われる。
「顔が可愛い」「服装が違う」
そんな程度のことで簡単に攻撃の的になる。
特定の人を排除することでその集団の和が保たれるので生贄。
異分子を攻撃、排除することで集団を均等に保ちやすくなる。
いじめやバッシングが起きることは当然のこと。

「感情に振り回されないレッスン」  著:中野信子

「ずるい人」を許せないのは、人間が持つ社会性のため。

社会を維持する仕組みでもある。「攻撃したい」と感じる気持ちそのものは、
人間に備わった仕組みである以上無くすことはできない。

「感情に振り回されないレッスン」  著:中野信子

ウザい人のウザい振る舞いの「理由」を考える。

「あんな振る舞いをするのは、そうすることの理由があるのだろう」
「あの人なりに編み出した生きていくための戦略なのだろう」
相手を変えることはできない。相手をウザいと感じるのは、自分にそう感じさせる何かがあるのかもしれない。など自分を振り返る。
本当に実害のある人であれば、離れる。

「感情に振り回されないレッスン」  著:中野信子

他人と比べなくなったときあるがままの自分で生きられる
脳には快感を生み出すことに関わる部分があり、それらを総称し「報酬系」と呼ばれている。
この報酬系を刺激することになるのは、自分自身で「心地いい」「気持ちいい」と感じることをしたとき。
他人が決めた価値観や、他人との比較ではなく、自分の価値観による幸せがどういうものかを自分でつかんでおくことが必要。

「脳の使い方」  著:中野信子

生贄の対象

誰にだってその瞬間はいつでも訪れる。
自分たちより得しているように見えたらなおさら。
1人を好む人、個性的な人、周りに合わせない人など、自分らしく振る舞おうとすればするほどその対象になりやすい。
だからといって自分を押し殺して無理に合わせる必要はない。

攻撃する人たちがあまりに酷ければ元々ちょっとおかしな人達なんだと思って離れたらいい。

サイコパス度が高い人や一見いい人に見えて巧みに他人を操り陥れるマニピュレーター等自分では不可抗力なところで、その性質を使って攻撃されることだってある。

万が一攻撃を受けることがあったら、相手の方が問題を持っている、もしくは日本人として当たり前の行動をしていると見ていたら、少し心も楽になるのではないだろうか。

みんなと一緒じゃないから問題があるのではない。一緒だからむしろ問題ということもあるわけだ。

以前より言われている、いじめる側が病気であるという考え方。
アメリカなんかではいじめる側がカウンセリングを受けさせられるそう。

以前、「自分の子どもはいじめられる側よりいじめる側になって欲しい」等言っていた母親がいて何を言っているんだと思ったが、
日本人の遺伝子レベルで刻まれている性質から出た言葉なんだと思えば。
しかし、恥ずかしい言葉。

いじめることが恥ずかしいことで、自分がケアされる側になることを小さな頃から知っておいた方が良いし、攻撃してはいけないとだけ伝えるのではなくて、「何があったの?」「どうしたの?」と話を聞いてあげられる環境は必要。

そして、知らない内に生贄になってしまう立場の子には最初から逃げ道を与えてあげること。
自分の子は群れに溶け込まないな、浮くなと感じたら事前に、「逃げていい」
「一緒でなくていい」
とだけ伝えておく。
元々人間はそんな性質を持っているから、相手は変わらない。その時は逃げよう。と。今は逃げても生きていける道が沢山ある。
受け入れられる場所に所属すればいいだけ。

アニメ

子どものアニメなんかを見ても、悪戯をする悪役がいて、
正義の味方はそんな悪役をボコボコにして良い表現になっている。

ちょっと間違ったことや違うことをしたらボコボコにしていい。。。

あくまでも私個人の意見だが。
最近ここに少し違和感を感じていた。
正義の味方が悪役に対して「どうしたの?」「大丈夫?」「何でそんなことしてるの?」と一言声をかけて話を聞いてあげるだけで物語は終わるのではないかと。

問題があると感じる人にアプローチを入れる。

むしろアニメを見ていると悪役をボコボコにしている正義の味方にカウンセリングが必要ではないかとも思えるものもある。
悪役は小さな悪戯に対して、正義の味方は暴力で解決している場合など。
「正義中毒」ではないだろうか。と。
ドーパミン濃度高めの正義の味方。

個人の幸せな人生

教育自体が、「個人の幸せな人生」にフォーカスしたものに変われば、
自分自身を見つめるようになるのではないだろうか。

誰かをどうしたいのか?ではなく、誰かより自分がどうか?ではなく、
親が子に「あなたはどうしたいのか?」を問い続けることはとても大切。

それぞれが、
今自分はどうしたいのか?
どうありたいのか?
どうして自分は相手にそんな感情を抱くのか? 
どうしてその行動を取るのか?
その行動をしてどう感じているのか?

小さな頃から自分に問いかける習慣を持つと、全部自分事になって自身の成長にもつながるのではないだろうかと考える。

コミュニティは探せば山のようにある。
学校の友達より習い事の友達の方が合うという場合もあるだろうし、
大人になれば、横の友達よりクライアントと自分の付き合いの方が心地いいってことだってあるかもしれない。

もし事前にポジティブな対策を考えるのであれば、子ども達に運動させるなどして、幸せホルモン、セロトニンを増やしてあげるなど。

言葉で言っても行動改善が難しいのであれば、習慣や食生活、ホルモンを整える等体質からポジティブに改善してあげることはできそう。

人間の性質から問題は起きる前提で見て、そうなった時にどう解決するかを「各々の考える幸せな人生」をゴールに置いて準備しておくと良いのではないだろうか?


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