10年前に突如ケモ着ぐるみを始めた話 (1:経緯)
この記事を書くきっかけ
時は2023年3月9日、ある写真をTwitterに上げました。
この写真は長年家の倉庫に保管しておいた自身のオリキャラ、いわゆるうちの子である着ぐるみを棚卸しした際に撮影したものです。
ある話がきっかけで長年眠らせていたものを引っ張りだして無事であることを確認してとりあえずTwitterにもアップロードしたものなんですが、
これが想像以上に反応があったというか「hapi⇒さんケモ着ぐやってたんだ」という話まででるほどでした。
「知ってる人は知っているはず」とその時自分は考えていたんですが、その考えは数分で撤回することになりました。
なぜならこのケモ着ぐをやっていたのは今から10年前で、最後にこの姿で出たのは8年前。
当時撮影した写真もろくに出回っていないのでそりゃあ知らない人いるわ……となりました。
2013年3月から2014年頃まで、少しの間だけですがケモ着ぐをやってました。その際の写真もいくつか手元に残っています。
思った以上に反響があった際に、Twitterにて更にこうツイートしました。
この時に「発端も雑だしやり方も雑だった」と触れていたと思います。
まあ8年近く眠らせていたとは言え一応今年が着ぐるみデビュー10周年という節目もあるので折角なので記事をいくつか分けてケモ着ぐを始めたきっかけからケモ着ぐをやめようと思った理由まで徒然書いていこうと思います。
いくつか記事を分けて書いていきます。超不定期更新になりそうなのと飽きたら途中で辞めたりするので期待せずに見て頂ければと。
とりあえず今回はきっかけについて書いていこうと思います。
ケモ着ぐを始めようと思ったきっかけ
まず先に触れておくと、きっかけはこの記事を見ている方が思った以上に意外な理由であることを予めお伝えした上で次項に入ります。
事の発端
着ぐるみを始めようと思った全てのきっかけはこの動画です。
…………はい。もう既に殆どの方がこの動画がきっかけてある理解が追いつかないと思います。
この時点で一つの記事が作れるレベルになるぐらいに話が長くなるレベルではありますが、間違い無くこれがケモ着ぐを始めたきっかけです。
2010年1月頃に投稿したこの「NEET GENERATION」という動画作品、Gun-SEKI氏と自分(hapi⇒)のユニット「silcostones」として投稿したものです。
作曲・作詞・ボーカルをGun-SEKI氏、編曲と動画作成を自分がやってました。
この作品は文字通りニートに焦点を充てた音楽としてSBFRという同人サークルにリリースした際に一緒に制作したものです。
当時丁度ニコニコ動画の一番視聴しているユーザーが多かったであろうFlash世代をターゲットに当てたFlash(という名目のAfterEffectsで作った)動画演出と当時にしてはなかなか強烈な歌詞だったこともあり、投稿直後はそこまで伸びなかったものの後に(今の言葉で言う)バズり人気動画となりました。
そして投稿から3年後、ある話が飛び込んで来ます。
突然の出演依頼
2013年の1月始め、Gun-SEKI氏からある連絡が入りました。
「ニコニコ超パーティの出演依頼が来たんだけど」
……最初は「えっ?」ってなりました。多分本人もそう思っていたはず。
それもそのはず。「ニコニコ超パーティ」と言えば幕張メッセで行われるデカいライブイベントで当時は数万人の客が集まっていたものなのでそりゃそんな話が飛び込んできて「なんで?????」みたいな気持ちになります。というか今でもそう思ってます。
当時の「ニコニコ超パーティ」の概要。
内容を伺う限りでは音楽カテゴリ枠として「NEET GENERATION」を歌って欲しいという依頼が来ていたという話でした。
当時の運営側としてはあくまでボーカルのみの出演依頼であり編曲担当である自分には特に連絡は来ていなかったのですが、Gun-SEKI氏自身にとってはユニットである以上そっちにも出演するべきでは?という話を持ちかけられました。
すべての始まり
……出演依頼の返答にはかなり悩みました。
別に出演自体は特に問題無いんですが、相手はニコニコ動画かつチケット制のイベントとは言えインターネットという世界で顔バレさせるのとほぼ同義。
当時の自分としては当然顔はなるべく出したくないという考えでした。なぜなら親や兄弟にこんな曲で実質デビューしている姿はまあ間違い無く今後会うたびにそのへんを逐一言われるのが嫌だったからなんとか顔を隠す手段を考えていたわけです。
身内……この中で言うと兄のイビりは酷いもので、少しでも奇怪な事をしていたら会うたびにその話を毎回必ずするような相手であり、実際に顔出しで出演してたらいずれバレてイビり続けられるだろうと思い、とにかくこちらの活動がバレない手段を必死に考えていました。相手は多少の子供の頃からのやらかしを10年以上イビり続けるのせそれが嫌で嫌で仕方なかったからです。
それと同時に当時はケモ着ぐに若干興味を持っていた頃でもあり、かつ2013年の1月はJMoFが初めて開催された年でありました。
1回目の開催地は彦根だったこともあり、(今もですが)当時大阪に住んでいた自分のとっては「電車一本かつ日帰りでいけるじゃん!!!!!」的なノリで観光も兼ねて遊びに行きました。
JMoFでのレポートはそれはそれで長くなるので全て省略しますが、要約すると「当日参加から終電ギリギリまで残っているレベルで楽しめた」という事は確かです。
序盤でも触れた通り、元々自分には自身で設定を提案したオリジナルキャラクターを持っていました。
これは今の名前(hapi⇒)にも関連するんですがそのへんも語り始めると記事が長くなるのでこの辺りを参照してもらうとして、JMoFを参加したあとに決意しました。
「自分のオリジナルキャラクターの着ぐるみを作ってそれでニコニコ超パーティに出演しよう」
これが全ての始まりです。
次回は制作の経緯とかについて語れたらと思います。更新は気が向いたらで。
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