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絶対アイドル辞めないで。②

今回は前回の続きということで、櫻坂46の小池美波さんについて。

まずは簡単にプロフィールから。
1998年11月14日生まれ 兵庫県出身 B型
櫻坂46の1期生 愛称はみいちゃん

私がみいちゃんを好きになったのは約4年前。
この動画のアンビバレントです。

お人形さんみたいな顔の女の子が狂気じみた顔つきで踊る姿に圧倒されたことを今でも鮮明に覚えています。

欅坂46の1期生ということですが、デビュー曲であるサイレントマジョリティーでは最後列の真ん中。みいちゃんの言葉で、欅の幹を担当しています。
こんな言葉にすると明るく見えますが、実際は三列目。テレビでもあまり抜かれにくい位置です。

そんなみいちゃんに転機が訪れるのが3rdシングル『二人セゾン』です。
今まで最後列だったみいちゃんがフロント、しかもセンター横に抜擢されます。
そこから列はシングルごとに様々に動きますが、確実に欅坂にとって重要な人物になっていきます。

小池オタの中でも印象に残っている場面といえば、2018年の全国ツアーでしょう。1曲目のガラスを割れでセンター平手が怪我をした後、ライブではセンター不在のまま曲が進んでいきました。二人セゾンもセンター不在のまま行われたのですが、この曲のソロダンスの際、急遽小池美波がマイクを隣の佐藤詩織に渡してアドリブで踊ります。この時のことを後の映画のインタビューで、「ファンの皆さんから嫌われてでも、セゾンを守りたかった。」と語っています。
どこまでもグループや曲の世界観を大切にする子なんだと私は思っています。

その後、幻となった欅坂の9枚目シングルでは選抜落ちを経験します。
どんな思いでその期間、制作期間を過ごしていたのか私たちには分かり得ないですが、実質センターとなったコンセントレーションという最高の楽曲をプレゼントしてくれました。

櫻坂46に改名すると発表したライブ。名前はまだでしたが、改名を発表したのは上のリンクを貼ったライブ内での出来事です。このアンコール後、みいちゃんは過呼吸で倒れたというエピソードがあります。上にも記述しましたが、自分よりも、どんなことよりもグループを大切にしてきた子です。相当な思いがあったのだろうといつ見ても心が痛みます。

そして迎えた櫻坂46の1stシングル。
一度は選抜落ちという悔しいポジションを経験している彼女ですが、裏センターという重要なポジションを任されています。今ほど人気もなかったですし、むしろ欅から離れていったファンが多くいて、櫻坂のファンもメンバーも再出発に大きな不安を抱いていた時期です。それの矢面に立ったのが森田、小林、理佐の3人だとするなら、支えたのは小池美波だと私は思っています。(もちろん全員で乗り越えているという前提です)

櫻坂になってから初めての観客を入れてのライブはWーKEYAKIFESというライブでした。その名前から多くのファンが欅曲を数曲やるのではないかという噂がたてられました。櫻坂としても2時間ほどのライブをやるにはカツカツといったほどしか持ち曲はなかった頃だったので、予想されるのも想定内でした。しかし披露されたのは日向坂と合同公演でのアンコールのW-KEYAKIZAKAの詩のみ。
このことで、欅曲をやってほしかったという声が見られたのも事実です。
当時のみいちゃんのライブ後のブログを読んで、私は櫻坂が大きくなる日まで絶対に応援し続けようと決めました。内容を抜粋すると、櫻ではなく欅を求められるのが悔しい。いつか遠い未来でも櫻坂が届く日が来て欲しい。そんな内容でした。この当時を知る人は少なくなっています。けれど確実に櫻坂からのファンとう人が増えていることはこの当時のメンバーが支えたからだと私は思います。欅坂と櫻坂を繋いでくれた大切なメンバーの1人だと思っています。

櫻坂になってからのターニングポイントといえば、3rdシングルでしょう。
この子はどちらでも3rdに振り回されていますね。
初めて櫻エイトから外れ、BACKSメンバーになりました。
当時のトークで語った言葉を忘れることはありません。
一部抜粋すると「私にはたくさん時間がありません。」という言葉。
アイドルは短命なんだと思わされた瞬間でした。このときからもうすぐ3年。
ずっと覚悟だけはしてあります。

そして月日は流れ2023年10月19日。
無期限の活動休止を発表します。
前後でも、体調不良で音楽番組やミーグリ等をお休みしていることが多くなっていたこともあり、もちろん衝撃はありましたが、今はゆっくり休んでほしいと思っていました。過去にゆいぽんやおぜちゃんも同じようにお休みしていましたし、当時はえんぴかもまだ休養中でした。
この頃のトークはすごく暗いものが多かったような気がします。私個人としては勘というかなんというかの感覚でなんらかの精神的なものなのかなと思っていました。


2023年12月11日。

このブログにてパニック障害を公表します。
私自身、この当時の1年ほど前からみいちゃんと同じ精神疾患を複数抱えて生きてきました。だからこそ公表する勇気というものにすごく関心したというか、同じ疾患を抱える人として尊敬しました。正直、まだまだ精神疾患というものに対する偏見はあります。当たり前のことが突然できなくなる恐怖が人に上手く伝わらず、甘えだ、気分で変わる奴無理など、排除傾向に持っていかれてしまうこともあります。それでも公表したということに私も勇気づけられました。
このブログにも書いてありますが、言葉には人を簡単に壊してしまうことがあります。こうしてnoteに書いていることさえ、誰かを苦しめる要素になっているかもしれない。けれど、そんな思いをみいちゃんは言葉で伝えてくれた。そこにどれだけの勇気があるかを想像しただけで涙が止まりません。

この公表からもうすぐ1年。現在は少しずつではありますが活動を再開しています。
一時期のトークでは不安になることもありました。
個人的なエピソードにはなりますが、トークを読んで自分もみいちゃんと一緒に闘っている、そんな気にさせてくれました。周りに共感者がいない孤独感というものと闘いながら、自分と原因と向き合わなければ中々克服できない病気でもあります。だからこそ、みいちゃんの言葉ひとつひとつに勇気をもらって、今日も生きようと思えていました。

復帰をした今、できることはみいちゃんを支えてあげること。
私はみいちゃんが歌って踊る姿が大好きです。
その姿を見て一目惚れして、今では憧れの女の子です。
そんなみいちゃんが大好きだと公言する櫻坂に。
自分のことよりメンバーを1番に考えてしまう貴方に。
幸せな景色をいつまでも見せてあげたいです。
願いが叶うのならアイドルの姿をずっと見ていたい。
でも自分の体を第一に考えてほしい。これは紛れもない事実です。
だから、みいちゃんが思う存分楽しんでアイドルをしたいと思っている期間は全力で応援させて欲しいな。

最初から目立つポジションにいたわけでもない、けれど着実に結果を残して何度も何度も転んで、その度に強くなったパフォーマンスを私たちに見せてくれる。
大人数の欅の木の小さな幹だった貴方は、でっかくて太い櫻の木の幹になったよ。どこにいても応援している気持ちを変えるつもりはありません。
けど、忘れて欲しくないのは貴方の存在が櫻坂にとってものすごく大きな存在であることには変わりはない。東京ドームの歓声が物語っていたね。
また選抜で、フロントで、みいちゃんの笑顔が見れる日を私は待っています。

そして先日、みいちゃんの同期である一期生2人の卒業が発表されました。欅坂最後の一期生がまさか推しメンになるとは、推し始めた頃には思いもしませんでしたが、それだけみいちゃんと長い付き合いで、時間を過ごしてきたんだと改めて思いました。そして、そんな姿を最後まで見届けるのが私の使命だと思います。

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