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貸したきり返ってこないモノは有形だけではない

大人になってからも、案外「貸したきり返ってこない」なんて話は少なくない。子どもの頃であれば、マンガやおもちゃ、ゲームソフトなど、目に見えて手に触れるものが話題の中心だった。しかし大人になると、貸し借りの対象はもう少し多岐にわたってくる。

もちろん、現金や本、家電製品など、明らかに形があるモノを貸して返ってこないケースもある。忙しさやうっかりが原因で相手が忘れていることもあれば、「返さなきゃ」と思いつつもタイミングを逃してしまい、そのままになってしまうこともあるだろう。大切なのは、いつまでもモヤモヤを引きずらないよう、勇気を出して返却を促すことだと思う。明確に言わないと相手も気づかないまま、時が流れてしまうからだ。

しかし、もう一つ厄介なのが「無形のものを貸し借りする」ことだ。たとえば時間や労力、あるいは信頼関係や思いやりというもの。相談に乗ってあげることも、助け合うことも、厳密には貸し借りとは言えないかもしれない。それでも、人に時間を割き、気持ちに寄り添い、何かしら力を貸したのに、ふと振り返ると相手は当たり前のように受け取りっぱなしで、「ありがとう」の一言すら聞こえてこない。そんな経験をしたことがある人は、きっと少なくないはずだ。

これらは形がないだけに、余計にやっかいだ。自分の心情や労力は数値化できるわけでもないし、相手に請求書を出すわけにもいかない。結局、そのまま「返ってこない」形で終わりがちになる。表面上は成り立っているように見えても、その裏側では自分の方だけが損をしたと感じてしまうこともある。もちろん人間関係は持ちつ持たれつで、誰かから返してもらうことばかり考えていては、自分自身も窮屈になるだろう。けれど、相手からの礼儀や労りがまったく感じられない場合はやはり虚しさを抱えてしまう。

一方で、自分が誰かに何かを借りたままになっていないか、という振り返りも必要だ。人からの善意は形に残りにくいからこそ、貸しがあったことさえ忘れがちになる。自分がもし誰かの好意を受け取ったまま放置していたら、言葉でも気持ちでもいいから、きちんとお返しをするのが大人の礼儀なのだろう。お互いに「ありがとう」のひと言で、思わぬわだかまりが消えたりすることもある。

結局のところ、大人になったからといって借りパクがなくなるわけではないし、むしろ気づきにくい形での“返ってこない貸し”が増えるとも言える。でも逆に言えば、大人になったからこそ、お互いがきちんと配慮し合いながらうまくやり取りを続けることもできるはずだ。「貸すのが怖い」と身構えすぎる必要はないし、「借りたら返す」精神を忘れずにいれば、多少のすれ違いはあっても、人間関係を壊すほどのトラブルには発展しにくいのではないだろうか。

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ハピ
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