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夏休み、神様と出会った

 長期休みはいつも親戚の厄介になる。親が忙しいからだ。一日中小学生の面倒など見てられない。子供を無料で預けられる先が田舎の親戚しかないため必然的にいつもそこ。送り迎えさえも難しいほど忙しいらしく、いつも一人で電車に乗っていく。途中からバスも利用する。そうして着いたエアコンのろくに効かない古屋で、特にすることもなく、ただただ宿題を倒す。ゲームさえも持ってくることを許されず、近所の見知らぬ子供の輪に紛れるコミュ力もなく、畑仕事等でそれぞれ忙しい親戚たちになにかねだれるほどの勇気もなく、ひとり遊びだけが上手くなっていく。
 今年の夏休みも、そればかりと思っていた。

 太陽がてっぺんで輝き、蝉の鳴き声が響く中。コトン、と音がして、前を向く。睨みつけていた宿題の少し先、机の上にマグカップが置かれていた。周りを見渡しても、誰もいない。

「またか……」

 呟きながら、マグカップを手に取る。ひんやりとしたピンク色のそれには、氷と麦茶が入っていた。
 この家では、時折こういうことが起きる。親戚に話しても"わけも分からない子供の戯言"としか受け取ってもらえないため、おそらく私にしかこういったことは起こらないのだろう。しかし都会の我が家で類似した出来事は無く、決まってこの無駄に広い家で過ごしている時にしか、こういった怪奇現象は起こらない。
 正直助かりはするが……と考えながら麦茶を一気飲みする。じわじわとした空気で熱せられていた体に、冷たいそれが分かりやすく通っていく。ぷはぁ、と思わず声に出し、氷の残ったマグカップを見つめ思う。なぜマグカップなんだろう。マグカップとは、暖かい飲み物を飲む時のコップではなかったか。この家にはグラスも湯呑みもあるのに、なぜマグカップ……。

「かわいいけど」

 ピンクのマグカップを机に置いて、鉛筆を持ち直す。ここに来て一週間だが、もう既に宿題を倒し終わろうとしていた。ひとり遊びか宿題ぐらいしかやることがないと、あっという間に宿題が片付くのだ。もしかして親の狙いはこれだろうか。だとしてもゲーム機くらい持たせてくれ……と思いながら、最後の一枚を終わらせていく。それほど難しくないとはいえ、頭を使う算数を最後に持ってくるんじゃなかった。漢字の書き取りなら疲れた頭でもなにも考えずにやれて……いや、つまらなすぎてやる気なくすか。逆に頭を使うからこそ飽きずにやれるのかな。算数最後にしといて良かった。この一枚、この一問で最後。文章問題は得意だ。

 よし終わり。やっと終わったー、とバンザイ、からそのまま背伸びをする。ググッと伸ばすと気持ちがいい。ずっと同じ体勢でいたらダメだな。ぐるぐると肩を回し、ついでに首も回し、最後にまた背伸びをする。ふーっ、と息をふき、机の上の宿題と筆入れに手を伸ばす。片付けて、ひとり遊びをしよう。なにをしよう。あやとりか折り紙かお絵描きか、もしくは読書でもするか……。考えながら宿題を手に取ると、解いた最後の一枚の下に、もう一枚紙があることに気がついた。あれ、と思いながら見てみると、それはすっかり忘れていた絵日記用の紙だった。

「……あ」

 忘れてた。そうだ、毎年あるんだ、これ。毎年困ってしまう。だからだろうか、頭から存在を無くしていた。だって、書くことなんてないんだ。大きな出来事なんてない。海にも山にもいかない。だから悩んでしまう。悩んだ末に『特においしかったご飯七選』とかを書く羽目になる。
 どうしよう、と頭を抱える。しばらくそうしていると、風が吹いて、チリーン、という涼し気な音がして、思わず目を向けた先。すだれと共に揺れる風鈴が吊るされた縁側の向こうは美しく手入れのなされた庭で、一際目を引く大きな木を中心とした無秩序は詠めもしない歌を詠みたくなるほど、静かな趣があった。蝉がうるさいけど。

 じわじわとした暑い空気に揺らめく木は、春になると薄紅を咲かせる桜の木である。今は葉桜と呼べぬほどの緑色で身を着飾っている。昨年あった宿題を思い出した。名付け理由を親に聞く、みたいなやつだ。親のいない子とかはどうするんだろうと思ったやつ。両親が現存しそのどちらかもしくは両方が名付け親でもある、という前提の元成り立っている宿題だなぁと思うのだ。そのどちらかもしくは両方に当てはまらない子も多いのに。
 私の名前『桜夏』は、夏に桜の木がある病院で生まれたから付けられたものらしい。夏、と言っても初夏の頃、葉桜の季節であって、今現在のような暑さに蝕まれる夏らしい夏ではないのだが。

 蝉の声と風鈴の音が奏でる変なメロディを聞きながら、絵日記の方へ思考を戻す。どうしよう。たった一枚とはいえあの紙を埋められるほどの思い出なんてない。宿題してあやとりして本読んで宿題して折り紙して、みたいな日々だ。いっそのこと読書感想文にしてやろうか。
 風のざわめきでうるさいとさえ感じる庭を眺めながらぐるぐると悩み、唐突に思いついた。思い出がないなら作ればいいじゃない! いや、捏造するわけではない。思い出作りってやつだ。わざわざ思い出を作るんだ。日記を書くために。……虚しいな……宿題のためだから!!!
 そう、確か誰もいない廃屋があったはず。あそこにも桜の木があったのに、いつの間にか枯れてしまったと親戚のひとりが嘆いていた。あそこに侵入する肝試しが子供たちの間で流行っており、なにかイタズラをしていないかと心配もしていた。それをやる。親戚は皆『お前さんはやらんよねぇ』とか言ってたが、私は彼らが思うよりも悪い子である。早速準備だ。

 マグカップを手に取り台所へ行く。流しにマグカップを置いたら水筒を棚から出して、流しで水を入れ、入れ……れない。蛇口がすごく硬い。インドア派小学生の筋力では厳しい。どうしよう、と固まっていると、手に何かが重なる感触がして、蛇口が回った。

「ありがとう」

 小声でお礼を言って、水筒の蓋を閉める。紐をつけて肩から吊るしたところで、ふと思い至り、冷蔵庫に手を伸ばした。氷、入れておいたほうが冷たい。

 部屋に戻って、キャップを手に取る。親に買ってもらった、薄紅色のもの。今着てるの白ワンピだけど、似合うかな。しかし帽子はこれしか持っていないし、帽子無しで出歩くには日射しがキツすぎる。
 キャップを頭に玄関へと小走りする。トットット、ギッギッギ、足音と家鳴りが廊下で共鳴する。
 サンダルを手に取って、少し迷って戻し、スニーカーを履く。くるぶしまでの青い靴下が薄汚れた白に隠れた。

 ガラガラと横開きの戸を閉め、いってきますと小さく言う。畑の方にいる親戚に見つからないよう、体勢を低くして走った。


 村外れから向かった先も村外れ。今にも崩れそうな廃屋。なにかが出そうな気配に、これは肝試しに最適だと納得する。
 塀の門は倒れており、この不気味さがなければ誰でも立ち入ることができるのだろう有様。よく見ると子供のものらしき小さな足跡がいくつも残されていた。

「お、おじゃましまーす……」

 小さくお辞儀をして、足跡の上を通る。それは玄関まで続いており、機能を果たしていない扉から覗いてみると、暗い廊下がずっと先まであった。それほど、広い家だったろうか。外から見た時は、それほどと思わなかったが……闇に満ちているから、そう見えるのか。でも、どうしてこんなに日の光が入っていないんだろう。古い作りの家は、大抵イヤになるほど日が射し込むのに。
 ゴクリ、と唾を飲み込み、足を踏み入れる。壊れた靴箱が出迎えてくれた。少し躊躇したが、廃屋だからいいだろう、と靴のまま埃まみれの廊下へ上がる。懐中電灯でも持ってくれば良かった、と思ったが先、ふわりとあたりが明るくなる。とはいえまだまだ薄暗く、しかし闇濃いと言うほどだった先程と比べ視覚が働く程度にはなった。
 見えるのはありがたいが、薄気味悪いなぁと思いながら足を運ぶ。ざわざわと肌を擦る気配が充満しているような廊下を進んで、いくつか曲がった先に縁側。外を見ると曇り空で、いつの間に、と思いながら視線を下げると、木があった。葉の一枚もないその木はどこか見覚えがあり、どこだろうと記憶を探ると、今日眺めたあの木が思い浮かぶ。そうか、桜の木だ。おそらく同じ種類なのだろう。寂しげにポツンと立つそれを横目に、先へ急ぐ。目的地は、仏壇のある部屋だ。

 ギシギシと鳴る音を聞き、この家が平屋であることを感謝しながら歩く。階段なんてあったら、踏んだ瞬間バキッといきそうで怖い。今感じてるゾワゾワとした恐怖とは別の意味で怖い。
 縁側を曲がった先、少し奥にある梅の描かれたふすま。ここだ。そろりと開けると、左奥に仏壇があった。不自然なほど綺麗に整えられたそこには、美しい女性の写真が飾られている。
 線香もなにも無いが、とりあえず手を合わせる。無断で入ってしまって申し訳ありません。宿題が危うくて……。あら学生さん? はい、小学生で……え?
 目を開き顔を上げる。黒があった。黒髪だ。目が合う。こんにちは、小さい子。

「ひっ」

 固まった体を意地で動かし、何とか部屋を出る。足をもつれさせながら走る、走る。後ろからなにか聞こえる。待って、待って、待ってよ。いやだ!!!!

「はっはっ」

 息を切らしながら、とにかく走る。縁側から転げ落ちるように庭へ降り、がむしゃらに桜の木へ飛びついた。

「たっ助けて!」

 何故桜に助けを求めたのだろう。夢中な頭の片隅で冷静な自分が疑問を浮かべる。
 思わず後ろを振り向くと、黒影が縁側からこちらに向かっていた。怖くてぎゅっと目をつぶると、瞬間、暖かな空気で包まれた。寒かったのだと分かる。夏なのに、全力疾走した後なのに、寒かったのだ。
 暖かさに目を開くと、桜の木が光っていた。しゃらしゃらと音がして、リーンとなにか聞こえて、花弁が散る。花が咲く。ひとが現れた。いや、ヒトではない。紅葉の着物、桜木の角、稲の御髪、新緑の瞳。これは

「かみ、さま……?」

 辺りを見渡し、桜を見て、こちらに目をやる。

「あれ、まだ枯れていなかったんだな。助かった。それで君は、なにをしているんだ」

 はあ、と呆れたように息を吐き、黒影へ振り向く。黒影は眩しそうに身を引き、しかし手をこちらに伸ばしていた。

「未練がましい……しかし可哀想に。少し手助けしてやるか」

 ひとつ頷き、またこちらを向く。新緑の瞳が美しい。森を切り取ったような瞳。眺めていると、美しいそのひとは角に手をやり、伸びた枝の一部を躊躇なく折った。思わず目を見開く。

「君、これを持って走るんだ。家の中からひたすらに出口を目指して、真っ直ぐ帰るんだ。いいね?」

 花の咲く枝を優しく手に握らせながら、言い聞かせるように目を細める。それに頷くと、そのひとは優しく強く背中を押した。

「さあ、おいき」

 走って縁側から廃屋に入る。黒影は追いかけてこない。ただただ来た道を戻っていく。不思議とどう行けばいいのかは分かった。来た時は見えなかった数々のナニカに悲鳴を上げそうで、しかし息が詰まって、ただただ無我夢中で走った。
 門から外に出ると何故か夕日が傾いていて、それほど時間が経っていただろうかと頭の片隅で思う。踏み固められ草も生えない道を走って、走って、走って、人影が見えて止まった。

「おーい」

 声で分かった。親戚だ。あれはおじさんって呼んだら怒る人。どうせならおじさんを自称してくる人が良かった。もしくはタバコ臭いけどお小遣いくれるお姉さん。それでも見知った人の声に気が抜けたのか、座り込みそうになる、のを意地でこらえる。震える足に力を込めながら肩を揺らして息をしていると、彼は駆け寄って怒鳴ってきた。

「なにしてたんだ勝手にいなくなって!」

 衝動的に上げられたのだろう手を見つめていると、少し固まって、すぐにその手を下ろした。

「どうしたんだ。本当になにをしていたんだ? ボロボロじゃないか」

 目線を下げると、真白のワンピースは薄汚れており、裾が少し破れていた。伸ばしている髪は見るからに絡まりまくっていて、元々汚れていたスニーカーは白さが無くなっていた。
 手に握っていた、薄紅が淡く綺麗に咲いていたはずのそれは、何の変哲もないただの木枝となっていた。

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