幸い(さきはひ) 第七章 ⑤
第七章 第五話
桐秋は別荘の庭に設けられた温室で、紅茶を嗜《たしな》みつつ、本を読んでいた。
別荘にあった英国の詩集。
手慰みにと取った本ではあったが、内容はまったく頭に入ってこない。
頭を占めるのは可愛い恋人のことばかり。
恋人同士となり、千鶴にふれるようになってから、千鶴はときたま、女の顔を覗かせるようになった。
普段の千鶴は、光にも染められていない真白な新芽のように、何も知らぬ無垢な顔をしている。
今日も別荘に着き、ステンドグラスの光の前で祈る彼女の姿は、穢れを知らぬ聖女のようにさえ見え、あまりの清廉さに声を掛けるのをためらうほどだった。
ところがそんな清浄無垢な姿から一転、桐秋とふれあう時、千鶴は一気に初心《うぶ》な少女の殻を破って、今にも開花しそうな大人の女の表情を垣間見せる。
桐秋にもっとふれてほしいと訴える顔は、花が開く寸前の、ほのかに色づき、柔らかくなった蕾のような、匂い立つ色香を滴らせている。
毎日のように明日には花が咲くだろうという期待を桐秋に持たせ、境界線ぎりぎりに存在する危うい美しさで、桐秋の胸中を散り散りに乱れさせる。
いつ咲くかも分からないため、少しも目を離すわけにはいかない。
最も美しい瞬間を見逃すことはできないのだ。
ひと思いに花を咲かせ大人になって欲しいような、この曖昧な美しさをいつまでも堪能していたいような。
桐秋の心は見事に翻弄されている。
それでもやはり、女として開花するなら、自分の土《手》の中でという身勝手な欲求もある。
それが今日、千鶴に着物を贈るという行為につながった。
前にも着物は贈ったが、あれは千鶴を離れに縛りつけている免罪符のようなもの。
しかし今日のそれは、桐秋が恋い慕う女に着てもらいたいがために選んだものだ。
いわば自分の手で千鶴を美しく咲かせるための魔法の道具の一つ。
そんなことを桐秋が考えていると、温室の戸が開いた音がした。
続けて地面を草履が擦る音が近づいてくる。
期待に胸を膨らませる桐秋の前に現れたのは、麗しき姿の愛おしい乙女。
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