幸い(さきはひ) 第四章 ⑦
第四章 第七話
「それからほとんど毎日、彼女は決まった刻限に家を訪れるようになった。
私も家の者には内緒で彼女に会った。
一緒にクッキーを食べたり、本を読んだり、花畑に連れて行くと目を輝かせていたな。
花冠をねだられたこともあった。
初めて作った花冠は不格好で、とても人にあげられたものではなかったが、彼女はそれを喜んでくれた。
薄金の空気をまとってなびく髪に、花冠を被って微笑む姿は、女神に祝福を与えられた花の精そのものだった。
その髪があまりにも神々しく美しかったから、素敵な髪だと褒めたら、おばあちゃんと同じ髪なのといってますますはにかんで笑ってくれた」
ゆっくりと、懐古《かいこ》するように紡がれる言葉は、一つ一つ大事に語られる。
過ごした時は短いが、この幸せな時間は長く続いていくのだと小さな桐秋は何の根拠もなく思っていた。しかし、
「桜の花が散りはじめ、萌え出た青い葉が桜の木を覆い尽くしはじめたある日、いつものように二人で遊んでいると、急に彼女はもうここには来られないと言った。
私が理由を尋ねると、彼女は自分が“桜病”という病気に罹《かか》っているのだと言った」
少女の母はその病で亡くなり、自身も発症したため、治療を行うために引っ越すと言う。
「私は彼女に自分の父が医師であることを告げ、父に治してもらおうと提案した。
けれど彼女は首を横に振り、自分の父も医者なのだと言った。
自身のために父ができる限りのことをしてくれるから、それに従うと。
私は、彼女の父も医者ならば安心だと思った。
しかし、それを告げる彼女の顔はいつもの明るく可愛らしい顔とは打って変わり、驚くほど大人びていて悲しげだった。
私はそんな彼女の表情にいてもたってもいられず、自分が桜病を治すと告げた」
傍目に見れば子どもの戯言《たわごと》だろうが、幼い桐秋は本気だった。
「その言葉に彼女は大きな瞳をさらにまん丸に見開き、驚きながらも、嬉しそうにうなずいてくれた。
最後に、繰り返すうち随分とうまくなった花冠を彼女の頭に乗せ、指切りをした。
大人になって医者になり、桜病を治すと。
彼女の指は白くて細かったが、温かい手だった。
彼女は花冠をかぶったまま、満面の笑みを浮かべると、あっという間に去っていった」
そう話す桐秋の目はどこか遠くを見つめている。
あの日消えた妖精の陰を追いかけているのかもしれない。