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幸い(さきはひ) 第七章 ⑫
第七章 第十二話
以前、千鶴は南山から桐秋の母が桜病で亡くなっていたことを聞いていた。
けれども、桐秋本人から母親の話を聞くことは初めてだった。
桐秋は、静かな口調で続ける。
「実の子の自分から見ても、美しく、儚い雰囲気をもった人だった。
その佇まいに違わず、病弱で、桜病になる前もよく床に臥せっていた。
それでもいつも優しい母を私も、父も、愛していた。
この花、薔薇の一種なんだが、母が好んでいた花なんだ。
ここは秋が一段と美しくなるからと、薔薇も秋に一番美しく咲く品種を海外から取り寄せて植えていた。
君の部屋にも描かれているだろう」
そう問われた千鶴は、浮かんだ疑問の答えにたどり着く。
どこかで見たことがあると思っていたが、千鶴が使わせてもらっていた部屋一杯に描かれていたのだ。
ということは、あの部屋は・・・。
「母は、桜病になってから、この別荘に移された。
私は、母が桜病になってから、一切会うことを許されなかった。
当時はまだ桜病がどのような病かわからなかったし、私は嫡男であり、たった一人の子どもだったからだ。
母は私の他にも、子どもを身ごもっていたこともあったが、全員お腹にいるうちか、生まれてすぐに亡くなったらしい。
母を愛していた父は、母以外と子をもうけようとはせず、母が桜病になると熱心にここに通って、看病をしていた」
そんな生活が半年を過ぎた頃、
「ちょうど今の時期だったと思う。
父からここに来ることが許された。
私は、母に会えるのだと喜んだ。
だが、許されたのは、父と共にこの庭を散策する母を、二階の窓から見つめることだけ。
秋の薄寂《うすさび》しい情景の中、ぽつりと咲いた薔薇の香りを嗅ごうと、花に顔を近づける白い母の横顔が、今も瞼を閉じると浮かんでくる。
それが母を見た最期の姿だった。
感染症だったため、遺体との対面も叶わなかった。
父は、一目、母の姿を遠目にでも見せようと私を呼んだのだろうが、私は、そこにいるのに、母にふれられないことのほうが残酷に思えて、父のことを恨んだ。
そんな思い出もあったから、ここに来ることはそれ以来避けていた」
桐秋は静かに目を伏せ、一度そこで言葉を切る。
それからゆっくりと瞼を開くと、再び口を開く。
「しかし、君をどこかに連れ出したいと思った時、真っ先に思い出されたのがここだったんだ」