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幸い(さきはひ) 第七章 ⑨
第七章 第九話
別荘に来て数日が経った午後、桐秋と千鶴は暖かな光が差し込むサンルームで日向ぼっこをしつつ、ゆっくりとお茶を楽しんでいた。
別荘に来てから、千鶴は目に見える仕事をしていない。
掃除、洗濯、食事など、千鶴が離れでしていた奥向きのことは、管理人夫妻と通いのシェフが行ってくれている。
よって、今の千鶴の役割は桐秋の話し相手だ。
しかし話し相手といっても、ほとんどを千鶴がしゃべっていて、桐秋はそれに相槌を打っていることが多い。
桐秋は、千鶴の何でもない話を聞きたがるのだ。
千鶴は仕事をしないことに若干後ろめたい思いを抱えつつも、桐秋と普段より多くの時を過ごせることに喜びを感じている。
千鶴は不意に、足元に感じた違和感に目をやった。
どうやら、窓から入ってきた風にスカートがゆれ、足にあたっていたようだ。
普段、着物を着ている時には感じない素肌の感覚に、身体がひっかかりを覚えたのだろう。
千鶴が今身にまとっているのは、ひざ丈のワンピーススカート。
桐秋は初日に友禅の振袖を贈って以来、千鶴が別荘でその日着る物を毎日用意してくれている。
今日は、光沢のある絹でできた真っ白なワンピース。
襟元、胸元、袖にはレースがふんだんにあしらわれ、同じレースのリボンのついた上品な洋靴も一緒に用意されていた。
連日続く、桐秋からの贈り物に最初は遠慮していた千鶴であったが、
『これは、私が自分で稼いだお金を自分のために使っている。
完全なる私の趣味だ。君が私の選んだ服を着て、共に居てくれるだけで私はうれしい。
だからどうか受け取って欲しい』
そう桐秋に言われれば、千鶴は何も言い返せず、それからは丁重に桐秋に礼を言って、着させてもらっている。
最近は、こうしたおねだりを桐秋にされることが多い。別荘の部屋を決めた時のこともそうだ。
そして、千鶴はそれに弱い。流されていることもわかっている。
桐秋が願う願いはささやかで、決して千鶴を傷つけるものではない。
むしろ桐秋より、千鶴が喜ぶものではないかとも思う。
それでも桐秋がこんな形でも自分に甘えてくれていること、なにより、たいしたことではなくても、千鶴が叶えることで桐秋が喜んでくれていることが、千鶴もうれしい。
ゆえに最後は千鶴もその願いを受け入れる。
そんな身の丈以上の幸福を得てしまった千鶴は、自分にできることで桐秋をもっと喜ばせようと努力する。
一番凝っているのは髪型。
別荘では奥向きのことを使用人に委ねている分、千鶴の朝はとてもゆっくりだ。
その時間を有意義に使って、毎朝趣向を凝らした、服に合う髪形を作る。
今日は、ワンピースに合うようなお団子の束髪。
左右に三つ編みにした髪をくるりと羊の角のように、左右の耳のあたりに巻き付けて固定。
その上をワンピースのレースと同じ素材のリボンで巻き付け、蝶々結びにする。
耳当てをしているような愛らしい髪型に出来上がった。
全身を整え、姿見の前で一周回り、おかしなところはないか確認する。
丁寧に身支度を整え、毎朝、朝食の席で桐秋と顔を合わせると、桐秋は必ず、整えた髪と身につけた服を、優しい表情で褒めてくれる。
そうして今日も千鶴は褒められた髪型と洋服をまといながら、午後の緩やかなひとときを桐秋と過ごす。