チャンスの神様の話
チャンスの神様には前髪しかないらしい。
だから、チャンスが来たことに気づいて追いかけても、後ろ髪がないため、つかまえられないという。チャンスの神様は服も着ていないようである。
この教訓は、チャンスが来てから気づくのでは遅く、常にチャンスを待ち構えていて、「今がチャンス?」と思ったときに、向かい側からやってくる神様の前髪をつかまないといけない、ということらしい。チャンスの神様は猛スピードで駆け抜けていくし、前髪の長さもきっと短いんだろう。
実は、これに関しては苦い経験がある。今から10年ほど前、本格的に児童文学を書き始めて数年経った頃の話である。やっといろいろな公募で入選できるようになり、デビューの日も近いのでは?と浮き足立つ時期があった。公募では一次選考しか通らなかった作品も、何度か書き直した後に同人誌に載せたら、元編集者の目に留まり、小学生新聞に連載してもらえることになった。初めての原稿料収入である。
同じ頃、公募で入選した長編や最終選考まで残った中編を大手出版社の編集者さんたちに読んでもらったところ、どちらも気に入ってくれて、各々アドバイスに従って書き直すことになった。しかし、書き直していくにつれて、自分の作品が編集者の意向でどんどん変わっていくことに違和感を覚えるようになり、また、書き直しても書き直しても「もっともっと」と要求がエスカレートしてくることにも耐えられなくなった。結局、どちらも自分から「もう無理です」と作品を引き上げてしまった。
そのときの私は、ひとつやふたつ諦めても、また別の作品で勝負できると思っていたのだ。
しかし現実はそう甘くなかった。もっといい作品を書こうと焦れば焦るほど作品はどんどんつまらなくなり、公募でも入選できなくなっていった。大賞を狙って書いた作品は一次選考さえ通らなくなった。
5年前、私の作品を読んで「これを本にしましょう!」と言ってくれる編集者と出会うことができた。そして3年前、その作品が初めて本になった。
来月、3年ぶりに2冊目の本が出る。来春には公募で入選したショートショートが収められたアンソロジーが2冊、そして夏には3冊目となる単行本が出る予定だ。
私はチャンスの神様の前髪をつかまえられたのだろうか?
実感はないが、10年前の失敗は決して繰り返さないという思いだけは常にもっている。楽しいだけでは本は作れない。それを学んだ10年だった。