「死」って悲しいもの?
どもども!
今日は「死」についてスピリチュアル的にお話ししていきたいと思います
いきなり重たいテーマですが、先日安倍元総理がお亡くなりになって多くの人が「死」というものについて意識したと思います
少しセンシティブな内容に感じるかもしれないので、苦手な方はブラウザバックをお願いいたします
スピリチュアルの世界では「死とは魂が肉体から解放されるものなので悲しいものではない」という言葉をよく耳にします
そこから「スピリチュアル的に覚醒するためには死を悲しんではいけない」と極論に走ってしまった人もいらっしゃいました
正直申し上げると・・・
死は悲しいです
ただ「何に対して悲しむか」が重要になってきます
【スピリチュアル的な死について】
スピリチュアルでは宇宙(精神世界)にある私たちの魂が、地球という星を選んで肉体を使って遊びに来ていると考えられています
(何でもできる精神世界から不自由な地球にやってきたのは、不便を楽しむキャンプみたいなノリだと思ってください)
なので「死」とは地球の観光ビザが切れて、元いた宇宙に帰っていくと考えられています
つまり「遠いところに行ってしまった」というよりは「元の場所に戻っていった」という認識です
そういう考え方から「死」とは悪いもの、ネガティブなものではないという考え方が定着しました
冒頭でも書きましたが、だからと言って「死を悲しんではいけない」という訳ではありません
「死に対する向き合いかた」
じゃあ「死」を悲しむとはどういう意味なのかご説明します
あくまで「死」に対しては自分の主観で向き合ってください
人が死ぬという事は、もう二度とその人と話をしたり、一緒に食事をしたり、笑ったりする機会が訪れないという事になります
もうその人との思い出が増えることはありません
このような自分にとっての機会損失に対して悲しいという感情を抱くことは大切な事です
上記のような場合も「悲しい」という感情を覚えると思います
人の死に対しても同じです
あくまで自分の事で悲しんでください
「死んでしまって辛いだろうな」「家族と会えなくなって悲しいだろうな」と相手の感情を決めつけるのはおすすめしません
そのような思いは"念"となって相手の魂に届いてしまいます
(サイキックアタックと呼ばれるものです)
念は魂を地球に縛り付けてしまうことがあるのです
人の死と向き合う時に「悲しい」感じる感情は大切にしてあげてください
ただし落ち着いたタイミングでいいので、「勝手に相手を悲しい(辛い)と決めつけていないか」と振り返ってみてください
そして大切な人を失ったことに対して悲しむことは「愛」の表現でもあります
「愛」をもって「死」と向き合っていただければと思います
最後に
「死」に対しては宗教の宗派や地域性などで様々な捉え方があると思います
正解なんてありませんし、それぞれがそれぞれの向き合い方をしていただければと思います
ただ少しでも前を向くために役立てればと思いこの記事を書かせていただきました
とてもセンシティブな話題なので僕自身取り上げるかどうか非常に悩みました
決して「死」を軽く考えてるわけではありません
僕自身も身内の不幸が増えてきており、死と向き合うことも多くなってきました
なので自戒の意味も込めさせていただいております