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かのひとを偲ぶ

月の裏側が地球から見えないのは他に理由があるかもしれない、もしかするとそこが天国だから見えないんじゃないかって言うんだ」

穂高明

「月のうた」



母方の祖母はずっと一人暮らしだった。
庭のツユクサをワタシがすきだと言ったら除草せずにツユクサの道ができるほどにしてくれた、厳しいけれど優しいひとだった。

なにが厳しいかというと、教育というところ。
なぜか三人きょうだいで、ワタシだけがおばあちゃんに月に数回、手紙を書くようになっていた。電話して一本で済むのに、なぜか手紙でないといけないのだ。そのときはめんどくさいなあと思っていた。でも、オトナになったワタシ、本当に感謝しないといけなかった、後悔しかない。手紙の描き方や手習いをおばあちゃんは教えてくれていたし、その学年の漢字や学びについてもちゃんとわかってくれていたとおもう。
季節のこと、草花や旬のたべもの、衣替えや海山の話ではじまり、近況を書いてかしこ。
おばあちゃんの字もおかあさんの字もミミズみたいで読めない上におばあちゃんは古い字(昔の字と言っておこられた)なので解読は大変だった。(そのミミズ文字は達筆というらしい)
おかあさん曰く「おばあちゃんは女学校出で歩く辞書って言われてた」らしい。たしかにどんな質問にも答えが帰ってきた。

すんごくアタマのいいおばあちゃんの難点は料理だった。おばあちゃんは料理はしない、できなかった。
ワタシが無邪気に「おばあちゃんのとりの唐揚げが食べたい」と言って、でてきたのはべちゃべちゃのとりのカタマリだった。あとからおもえば、おばあちゃんはとりのいちまい肉を素揚げにしたんだとおもう。どおりで食事は近所のおばちゃんが準備しにきてくれていた。「歩く辞書」に料理の文字はなかった。

ワタシが進学するにあたって、両親も祖父母も難色を示した。祖父母は「女に学問はいらない」父母も「弟が二人もいるのに」
そのことを先生にいうと、おまえはあほか、進学クラスやぞ、そんなんがとおるか、と怒られたが、本当なのでしょうがない。
母が学校に呼ばれ、先生に説得され、本当に進学なんだとやっとオトナはわかったらしい。
もっと面倒だったのは、ワタシの学校の謳い文句が「良妻賢母」そして完全文系カリキュラムだった。ワタシが望んで進学クラスに入ったわけではなく、成績順にクラス編成があっただけ。ワタシは理系に進むつもりだったので、家族の説得とともに先生方の説得もしなくちゃいけなかった。
が、どっちも失敗した。。。笑笑

唯一、母方の祖母が難色を示しながらオカネを出してくれた。曰く「知識だけは盗まれない財産」と言って仕事を持つことまでは賛成しないまでも、勉強には価値があるという考えだったようだ。

そのおばあちゃんもワタシが卒業する前に亡くなってしまった。思い出だけが残って、それもどんどんぼやけていく。それでも、今の自由なワタシがあるのは、おばあちゃんの支えがあってこそなのは、たしか。

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