眼鏡の行方 ①

 眼鏡を何処にでも置くせいで、いつも探している気がする。
 一応、〝眼鏡スタンド〟なる物を置いてはいる。寝室のテレビの前に一つ、携帯置きと同じ、宇宙飛行士の姿をした陶製のものだ。
 パソコンデスクの横にある小型冷蔵庫の上にも一つ。これは昔、職場のデスクに置いていた物で、モアイ像の形をしている。以降、自分のデスクを持つような仕事をしていないので、置き場所に困り、今は自宅のこの場所に居る。
 眼鏡を意識して置く時、眼鏡スタンドは活用されるが、探さなければならない時というのは、やはり無意識に置く時だ。依って、これらは活用されず、むしろ別の部屋などで過ごしている時に、そういった事態は起こる。
 主となるのは、犬の散歩から帰った後だ。
 普段、私は裸眼である。
 眼鏡を掛け始めたのは小学生の時で、視力検査で0.1という数字を叩き出して、親から酷く怒られた。好き好んで勉強ばかりしている子どもでは無かった為、私の視力が低下した理由を、両親は「暗いところでマンガばっかり読んでるからや!」と決めつけた。
 確かに、マンガは読んでいたが、電気を点けて読んでいたし、友達の中でも、極端にマンガに傾倒していたわけではなかった。唯、親にとっては、寝床に寝そべった状態で、夜中にマンガを読んでいる…という行為そのものが許せなかったのだろう。それが二段ベッドの上で、電灯が明るく照らしていようと、読んでいる本がマンガでなく雑誌や小説であってもだ。
 私と同じように、弟や妹も、寝床でマンガを読んで育った。弟は二段ベッドの下で、正に「暗いところでマンガばっかり読んでいる」子どもだった。私よりもよく読んでいたに違いない。彼の蔵書はマンガだけでも大層な数だったし、少年ジャンプ等の週刊誌も、近くの商店で予約購入していた。
 私が眼鏡を要するようになった後、弟自身も眼鏡が必要な視力に落ち込んだ。しかし彼は、私のように「マンガばっかり読んで…」とは怒られなかった。何故なら弟は、私と違って勉強が良く出来た。そして、出生時、黄疸が出ていたことが原因で保育器に入っていた為に、目隠しをされて当てられていた黄疸を緩和するライトの影響で、将来的に視力が落ちることを予測されていたのだと言う。つまり親達は、弟の視力低下は必然で、私の場合は不摂生の賜物だという判断を下したのであった。
 視力回復には〝緑〟を見ると良いらしい。その情報を何処からか仕入れて来た父は、「ここに立って、ずっとあの緑を見とけ!」と、部屋の窓から見える先の木々を指差した。好天の下にある緑化地帯…。今でこそ、緑の癒し効果を実感出来る大人になったが、小学生が緑を差され、立ったまま何時間もそれを見て過ごすことが面白いわけがない。十分も見つめていると飽きて来るが、父の怒りは恐ろしく、私は生真面目に緑を見つめたまま、部屋の窓辺に立ち続けた。
 枕の下に隠していた雑誌を見付けられ、平手打ちを食らった挙句、びりびりに破られたこともある。それは友達から借りたものだった。流石に抗議したが、父は請け合わない。
「したらあかんことをしたお前が悪い!」
 私は泣くしかなかった。
 借りたものは返さなければならない。本屋を探し回ったが、月刊誌だったそれに在庫はなく、既に新刊に移行しており、ついに見つけられないまま、自分の小遣いから捻出して、他の物で弁償する他なかったと記憶する。
 本を引き裂かれても、緑の凝視を義務付けられても、私の視力は回復しなかった。0.1は0.1のまま大人になったが、弟の視力はどんどん悪化し、メガネのレンズも分厚くなっていった。
 短大で出会った親友は、私以上のド近眼であった。
 弟の正確な視力は把握していないが、彼女は0.1よりも大幅に下回っていた。コンタクトレンズを常用し、目の具合が悪いと分厚い眼鏡を着けたり外したりしては、肩こりと頭痛を訴えた。視力が悪過ぎて、眼鏡の度数が合わないばかりか、目以外の調子の方が良くないようだ。弟と親友は、同じくらいの度数だったのではないかと思う。
 0.1という数字が両親を脅威させたのは、本人達の想像の範囲を越していたからに違いない。実は二人とも、常用はしていなくともそれぞれに眼鏡を持っていた。当時は未だ老眼鏡を使うほどではなかったが、車の運転などに必携を義務付けられなくても、それぞれ視力が良かったわけではないのだ。
 しかし第一子である私が突然馬鹿高い眼鏡を要する事態に陥ったことが、親達のショックを誘発したのだろう。しかも突然0.1である。様々な悪癖を並べ立て、責め立てたところで改善するものではないということが、大人になった私には解るが、当時、既に大人だった両親には解らなかった。
 視力の極端な低下によって受けた叱責は、今思えば虐待の紛い物である。弟や妹がいくら暗闇でマンガを読んでいても、私のように怒られる姿は見たことがない。弟は私以上の視力悪化を辿ったが、妹は万年2.0を記録していた。
 私が受けた仕打ちは手酷いもので、とてもじゃないが、〝親の心配〟から派生したとは思えなかった。きょうだいの中で平等でなかったことも不満を抱く要因だ。今でも忘れられない恨みのひとつと言える。我ながら執念深い娘だと思う。親達よ、後悔するがいい。

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