昨日は七夕なの晴れていた
その日、昼を過ぎてキッチンへ降りたら、居ては困る人がリビングに居た。食事するためにはどいて欲しいのに、一向に動こうとしない。午前中に使って乾かしていた食器を片付け、洗濯物を取り入れている間も、その人はソファで身動きもせずテレビを凝視していた。
NHKであることは想像がついた。いつも殆どそうだからだ。主にBSが多いが、今日は地上波であるようで、こちらが身動きする過程で、右上のテロップがちらちら目に入る。大変なことが起こったのだと、その時初めて知った。
こちらが降りて来てから身辺で動き回るので、ようやくその人は移動することにしたらしい。テレビを消して、階下へ降りていく。消えたテレビをすぐさま点けた。
洗濯物を畳みながら、繰り返し流れるニュースを見続けた。間もなく畑から汗だくの母が帰って来た。
「大変なことになってる!」
食事中もチャンネルを変えなかった。そもそも変えたところで内容は一緒である。つまらないテレビほど退屈なものは無いので、観るものが無い時は録り溜めた録画からチョイスするのだが、私はNHKにチャンネルを戻した。
歯を磨く間だけテレビを切ったが、パソコンの電源を入れると同時に、パソコンのテレビ機能をONにした。集中して着手したい作業があったが、それどころではなかった。基本的な検索だけに留め、テレビなんか点けていては絶対に出来ないような作業は、今日、諦めた。
見ず知らずの赤の他人のために、祈ることなんて滅多にない。しかも相手は政治家だ。政治には疎いが、百点満点の政治家なんていないし、疎いなりに俯瞰していてもろくな世界ではないと思ってしまう。
「疎い癖に何を言う!」
詳しい人に叱られたとしても、政治の世界に興味が持てないのは、私だけのせいなのだろうか…とちょっと他のせいにしたくもなる。それほど関わりのない世界だ。自分の国のことなのに、国のために働く人たちに感謝の気持ちを持てないことも、私だけのせいなのだろうかと思ってしまう人間である。非国民の代表のような気持ちにさえなる。胸を張る気は全くないが…。
夕方、ニュース速報が流れた瞬間、思わず悲鳴を上げた。私が見ている間、ずっと担当していた利根川アナから女性のアナウンサーに変わって暫く経っていたが、テロップに名前が表示されたのかも知れないのに、それにさえ気付かなかった。9時のニュースの前の、短い番組紹介で見たことのある人だったが、ニュースを読んでいるのを初めて見た。名前は、今度テレビで見たら思い出すのだろう。こんな時だから、皆モノトーンを着用していて、そんな姿もいつもと違って見えた。速報が流れた直後、口頭で事実を伝える彼女の眼は、若干潤んでいるようで、また、顔色が悪く、表情も、悲痛に歪むのを必死に堪えているように見えたのは、私だけだったのだろうか…。
治療に当たった奈良医科大学付属病院の会見を待っているうちに、犬がくるくる回り出したので、後ろ髪を引かれながらパソコンの電源を落とした。多分、帰ってからのニュースで振り返りがあるだろうと諦めたのだ。気になって仕方がないが、今、私がしなければならないのは、うちの子を運動させ、トイレに行かせることだ。
結局一晩、関連するニュースをかけ続けた。どのチャンネルでも番組変更が行われていたが、私はずっとNHKだった。CMが入り、各界のコメンテーターが見解を語る…それが悪いわけではない。気持ちが紛れ、視野が広がるのはむしろそちらなのだが、今回に至っては、同じ情報の繰り返しに新情報が加わるくらいで充分だった。
映像を撮っていた奈良放送局の及川記者が話していた。アナウンサーではなく記者である人が、こんなにしっかり話すのかと驚いた。終始辛そうに見えた。時々しっかりと瞼が閉じられると、下向きの睫毛がとても長い。話を聞きながら、別のことを考えている自分が滑稽に思えた。
現場にいた民間人の証言や、街頭インタビューの様子を見て、ショックを受けているのが自分だけではないことにホッとした。好きでもない人のために祈り、嘆くなんて、自分は何処かおかしくなったんじゃないかとちょっと思ったのだ。決して正しい選択だけをしてきたわけではない人が、この事件によって神格化されることも恐ろしかった。
唯、はっきりと声にしたかった言葉に嘘は無い。
「こんな死に方、絶対あかん!」
思い出したのは、コロナ禍でInstagramに上げられた、星野源の『うちで踊ろう』に対し、あらゆる人が応える中で、その人が加わった時の映像だ。最初、何やっとんねん!と思った。
しかし、その時一緒に映っていた子にとって彼は、“おとうさん”だ。そしてどんなに待っても、もうその傍らに、生きて戻って来ることはないのである。
いつも通りピアノを弾いてから入浴するつもりだったのに、体が動かなかった。自室へ戻り、再びテレビを点けると、スマホで他の検索をしながらベッドに横になっていた。当たり前のように眠ってしまい、暑さのあまり目覚めたら、深夜1時を回っていた。
翌朝テレビは、通常通りの番組が流れていた。昨日、半日以上同じニュースを流し続けた媒体が、土曜の朝らしく明るく軽快なプログラムで溢れている。事件のニュースは相変わらず流れたが、昨日のように画面上を支配することは無かった。
献花台には花が溢れていた。
昨日夕刊の一面に大きく載っていた倒れた時の写真は、今朝の朝刊では半分よりもっと小さくなり、流れた血の部分は加工されてモザイクがかかっていた。
国のために声を上げる仕事に出掛けた人が、今日、もう息をしていない。きっとこの日も、何処かで声をあげていたはずではなかったのだろうか。妻にとって夫になる人、愛犬にとって父になる人、子であり、兄であり、弟であり、多くの人にとっての友である人。そして賛否渦巻く国という名の大きな舞台を、長く支えようとした人だ。
引きずっている人がいる。私と同じように。それだけでホッとする。
一夜明けて急に明るくなったメディアという媒体が、私にとっては未だ眩しすぎて、違和感に溺れてしまいそうだ。
豊かな政治家は、広い部屋の真ん中で、静かに眠りにつくものだと何処かで思っていた。そんな人、今時少ないかも知れないのに、半分皮肉でそう思っていたところも実はある。豊かなら豊かなまま死ねばいいと…。
出来たこと、したかったことが、まだまだあったのではないか。そのために働いていたのではなかったか?
映画では何度も観ていた。
キング牧師やケネディ兄弟、国内でも、暗殺という形で命を奪われた政治家は、翻って見れば何人も居る。しかしそれは過去の話ではなかったのか?
21世紀の令和という時代、銃社会ではない、世界の先進国に比べれば“平和”で“安全”と言われるこの国で、既に第一線から身を引いた人に起こって良い悲劇ではない。
何度叫んだとて叫び足りない。
「こんな死に方、絶対あかん!」
前年、一番感動したことは、Ⅿ1グランプリで錦鯉が優勝したことだった。
この年、まだ残り半分あるというのに、一番ショックだったことが既に起こってしまった。安倍晋三元首相が銃撃され亡くなられたことだった。
※ これを書いたのは2年前のことです。