誕生日月不調説 ②

 私の父は六月生まれだ。
 父も私と同じで、誕生日月に悪い周期が訪れると感じるのには、ある理由が起因する。
 父の誕生日に前後して、〝父の日〟というものがあるが、決して関係の良い親子でない我が家でも、私自身が自己嫌悪に陥らない為に、一応、プレゼントというものを渡すのだ。基本、口を利かない親子である故、笑顔と感謝の言葉などのメッセージは省かれる。それぞれ生活スタイルも違うので、一つ屋根の下に住んでいても、殆ど顔を合わせる機会はないのだが、記念日だからといって、特別な配慮はしない。誕生日の分と、父の日の分。決して〝二つ一緒に…〟というようなズルをしない懐の大きい娘である私は、毎年必ずそれぞれに用意する。
 しかし今年、改めて気付いた。ここ数年、この二つを父に渡す行為に対し、私自身が普段以上に神経質になっているということに…。
〝気遣う〟なんていうことを、実際父に対してしたいと思ったことは殆ど無い。横柄でキレ易く、自分を中心に地球が回っていると思い込んでいる、典型的な自己チュー人間の父を、私は一度だって尊敬したことが無い。社会的弱者である子どもの頃は、その顔色を窺って、ビクビクしながら過ごしていた。機嫌が良い印象が無いばかりか、機嫌が悪いその理由も、子どもの私にはまるでわからなかったのである。
 父の日や誕生日に、プレゼントをあげる行為を否定する者もいる。先ず、私の弟はそういったことを全くしない。妹に関しても、誕生日は無視して、若しくは父の日と一緒に…と言う名目なのか、ここ数年、ようやく継続することが板に付いて来た程度だ。姉弟いずれにも否定はされないが、いずれも私の行いでプレッシャーを感じる様子もない。唯、我が母だけが否定的である。
 と書けば、多くの人には、母が父に対して嫉妬していると感じるかも知れないが、そうではない。母は、父に何かを与えることに甲斐性の無さを感じているのである。
「無駄やから、やめときって言ってるのに…」
 母は毎年、呆れたように呟く。そして私もそれに頷くのだが、翌年も自分の納得のいく範囲で、父の記念日にお金を使うのだ。
 私は父に、贈り物をすることによって求めるものは何もない。
【ありがとう】とメモ書きが一枚あれば充分で、口に出して礼を言って欲しいとも思わない。口を利かれても、対応するのが面倒なだけなのだが、かといって全く無視は腹が立つ。依って、一言のメモ書きで充分なのである。
 しかしここ数年、そのメモ書きが机上に上るまで、何日もかかっている。メモ書きを待っているわけではないが、どんなものであろうと、物を贈られれば礼を伝えるのは、人として在って然るべきだ。私は父にそのように教えられた経験はないが、子育てを担って来た母親には、自然な成り行きでその常識を学んだと思っている。
 父からの礼が無い…。それは何故か?
 誕生日月の六月、父は毎年、通例的に不機嫌の最高潮に達している。私がそれに気付いたのは今年に入ってからだ。以前と同じ感覚が私を襲い、ふと過去を振り返れば、去年も一昨年も、私は父から一方的にキレられたり、激しい喧嘩をしていたことを思い出した。また、直接的に揉めなくても、こちらが顔色を無視することが出来ないくらい不機嫌を露わにし、物に当たったり、犬を叱責したりする。子どもの頃の恐ろしい記憶が蘇り、私は委縮する。今は父を〝怖い〟とは思わないが、恐怖の記憶は消えていないので、その時々の感情に振り回されるのだ。
 私は父と仲良くしようとも、機嫌を取ろうとも思わない。関わったところで良いことはないので、〝触らぬ神に祟りなし〟とばかりに無視を決め込む。売られた喧嘩を買う癖があるので、攻撃を受ければ反撃するが、悪い空気を纏い、周囲にその気配を発していることで気を遣わされるぐらいなら、知らん顔して黙っておくのだ。
 どんなに不機嫌であろうが、怒っていようが、喧嘩をしていようが、私はその日になればプレゼントを贈る。機嫌を直して欲しいのでも、怒りを納めて欲しいのでも、仲直りしたいのでもなく、一応血縁として互いが此処に在るのだから、最低限の出来ることをしておきたい…それが理由だ。どんなに相手が嫌いでも、彼は私の父であり、生活面で関わりが無かろうと、精神面で拒絶していようと、決して変わらないのがそれなのである。
 今は生きているが、いずれどちらかが先に逝く。順番で言えば恐らく父が先だが、世の中全てが順番通りに行くわけではないので、私が先かも知れない。いずれにしても、今生で別れを迎えた後、私は様々なことを後悔したくないと考えている。どんなに嫌悪し、憎んだり恨んだりしていても、それが父である以上、自分が娘として何もしなかったと思いたくないのだ。正に、自己満足からの行いである。
 物を贈ることは、私が私に課した義務とも言える。父以外の肉親に関しては、物に加えて気持ちが籠る。しかし父に対してはそれが無い。
『取り敢えずあげとけば良い…』
 私は何処かでそう思っているのだ。

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