身内の縁を切るということ ②

 宿に着いた後、取り敢えず行動を促す。先ず、伯母の娘である従姉(母にとっては姪)の連絡先を知っていると言うので、LINEを入れてもらう。仕事をしているはずだから、すぐには無理でも、見れば返事が来ると思っていた。一方、伯母とは頻繁に行き来があったらしい、父の長姉の娘にも、電話を入れてもらった。従姉妹である私がこの人に会った記憶がないのは、彼女と母が同い年で、私が生まれた時、彼女は既に嫁いでおり、私と同い年の娘を産んで育てていたからだ。必然的に交流を持ったのは従姉妹である私ではなく、同い年で同い年の子を産み育てた二人…ということになった。因みに父の長姉と私の母方の祖母は一歳違いで、祖母の方が上だ。
 しかし二泊三日の滞在中、従姉へのLINEは既読にならず、その後入れたLINE電話も通じずじまい。長姉の娘も電話に出ないばかりか、母が残した留守電メッセージに対して、何の応答も得られなかった。
 父とは、母も私も、何年も前から家庭内別居状態が続いているが、一つ屋根の下に暮らしている限り、外側から見れば家族関係が切れているようには見えないのであろう。父方の親戚は、不義理しかしていない父との縁を、これを機にすっぱり切るつもりなのではないかと、母と私の間で共に想像した。 
 しかし我々は近年、父を介さず、僅かでも伯母と交流していた人間である。コロナ禍で、見送りは近隣の身内だけ…という話になっていたとしても、訃報連絡のひとつもないのは、簡単に理解出来ることではなかった。“身内の縁を切る”とするなら、最後に連絡のひとつでも寄こしたうえで、そう宣言するのではいけなかったのだろうか?
 深く付き合いがなかったとはいえ、改めて父方の思考性に疑問を感じる。私の頭では絶対に選択肢に入らないような方法で、他者をシャットダウンしようとしていると感じたからだ。全くの他人が相手であっても、そのような手段には抵抗を感じる。ましてや一応は親類縁者である。あまりにも酷い仕打ちだと思った。
 滞在中、母方では、母の末の弟が三ヶ月も前から入院していたことが判明する。こちらは心配かけることを想定して、姉兄には言わないよう、本人が伴侶に口止めしていたのだったが、離れて暮らしているとはいえ、絆の薄い姉弟ではない。あまりに普段の生活にかまけすぎている母に、もっと弟と連絡を密に取るよう、私が声を大きくしなければ気が収まらなかった。
 母が、私以上にへとへとになったのは明らかだった。実姉のように慕う兄嫁、そして実の弟、いずれに対しても姪である私ごときが抱く感情とは比べようもないだろう。自宅に戻って二、三日経っても旅の疲れが抜けず、寝てばかりいた。
 普段口を利かないばかりか、顔を合わせるのも嫌がって、気配を感じれば早々に場を離れる母が、父に口を利く以外なかったのは、伯母の件を放置しておけなかったからだ。何の情報も持たない父は、何故か長姉より数ヶ月前に他界した次姉の、息子に電話をかけた。普通電話するなら、伯母の息子であろうと腹が立ったが、それを選ばなかったのは、自身が少なくとも兄の子どもたちに良い印象を持たれていないことを、感じているからだろう。次姉とは四人きょうだいで一番仲が良く、考え方も似ていたから、その子らともある程度連絡を取り合っているようであった。
 結果、分かったことは、やはり新仏さんは伯母であり、母と私が訪れた日が、四十九日あたりであったらしいということだ。帰省の日程に迷い、月を跨いでから第一候補でなく、結果として第二候補で宿を予約することになった我々は、呼ばれたのかも知れなかった。
 コロナ禍を理由の一つとして、県外から親類縁者は呼ばず、絆の深かった伯母の実の弟が、葬儀の一切を取り仕切ったのだという。伯母の弟からうちの父は疎まれていたらしいから、こちらへは敢えて連絡すら寄こさなかったのかも知れないが、そのあたりのことは詳しく聞くことが出来なかった。
 数日前、電話の繋がらなかった母と同い年の従姉に「会いたい」と言ってきた、とか、伯母は長女の家に滞在しており、最愛の母が急に逝ってしまったショックのあまり、彼女は引き篭もっている…など、人伝の情報は疑問だらけで、上辺だけ良心をかぶせたような格好をつけたの父の話は、真相やこちらの知りたいことからはかけ離れていて、まるで聞き心地の良いものではなかった。
 父の姉のどちらかの不祝儀時、伯母は胆石で入院していた。実母である祖母を亡くした直後で、葬儀に参列できなかった母に知らせを寄こした父が、伯母への見舞い金を見送ったことを知って、母は激怒した。以後、何度も入退院を繰り返していたにも関わらず、調子が悪かったことなどすっかり忘れて、直系ではない甥に「調子悪かったんか?」などと頓珍漢な質問をしている。話が通じるはずもなかった。
 後日、同じ敷地内に暮らしていた伯母の息子に、母は父の名前でなく、自分の名前でお悔やみを送った。放っておけば出し惜しみして、何もせずにおくことを想定したのは勿論、父の話が曖昧過ぎるため、直接傍にいた人間から話を聞くために、手紙の最後に自分の携帯番号を記したのだった。これで連絡が無ければ本気だろうと思った。そもそも、喪主となるべき存在はこの従兄で、こちらからの参列を遠慮するにしても、連絡くらい寄こす立場にあるのは彼だ。
 書留は届いているはずなのに、連絡が来ない…と杞憂していた母の元に電話がかかって来たのは、数日後の週末のことであった。
 健在だったときから、息子の仕事が多忙すぎることは、常々伯母からは聞いていた。その日常が変わっていないのであろうことを考えれば、金が届いていても連絡が週末になったことは仕方がないと思える。
 従兄の話によると、伯母は体調を悪くしていたが、今すぐどうにかなるといった類のものではなかったらしい。これからゆっくり色んな人に会えたら良いね…と話していた矢先の、あまりに急な旅立ちだったようである。市内の長女の元にいたわけではなく、自宅療養、もしくは、隣接する彼らの自宅にいたようだが、最愛の母の急逝にショックを受けた娘である従姉が、引き篭もってしまっている…というのは事実だということであった。
 ほどなくして、母が送ったままスルーされていたラインに、既読が付いた。回り回って連絡が行き、事情がこちらにも伝わったことで決着した…と捉えた印象を受ける。返信はなかった。
 私は従兄が、こちらに対する最低限の連絡義務を怠ったと捉えているが、その裏には、伯母の弟の存在が強く影響したと思っている。伯母の弟や息子たちが、我が父に対し、良い印象を持っていないであろうことは、私や母が一番理解している。父と我々が同じ穴の狢だと取られるのは心外であっても、一つの家に暮らす一家族という意味では、切って分けてくれ!と要望出来るほど、彼らとの繋がりは濃くない。辛うじて繋がっていたのが伯母だったから、その糸が切れてしまった以上、父方との親戚付き合いは風化するように途絶えてしまうだろうと想像する。長姉の娘が母の電話に応答せず、そのままになっていることも、私にとっては疑念しかない。色々なことが食い違っている気もするが、繋がりを断とうという意図を感じないとも言えないのだ。
 元気で運転出来ている間は、今後も墓参りに立ち寄ろうと思っている。母にとっては血縁でない人々であり、残っている身内と会うことは、今後もないかも知れないが、顔すら知らなくても私にとってはご先祖に違いない。伯父はその父と同様酒に飲まれたが、優しい人だったと母からは聞くし、血の繋がりは無くても、伯母は愛すべき人に違いなかった。
 唯々寂しい。色々な意味で…。

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