ばあちゃんのネメシア
去年の9月に買ったネメシアが、玄関先の植木鉢で全盛期だ。
花を選んだのは母である。
9月はわんこ長男の誕生日があり、祖母の命日がある。中四日なので、ふたり分の花を、お金を渡して母に頼んだ。
8月の祖母の誕生日にも花を買ってきてもらったが、それは最終ベランダに置かれ、今はもう天寿を全うしている。切り花やアレンジは、あと、処分するしかなくなるので、なるべく寄せ植えしてもらうのだ。行きつけの花屋さんは外花が豊富で、店主とは私より母の方がなじみだから、可能であれば母に頼む。
彼岸に合わせて帰省し、入院中の祖母を見舞って帰った一週間後、祖母が亡くなり、再び田舎へ走った。送り出して戻ったら、冷蔵庫の上で最期を迎えようとしていたはずのベコニアの新芽が伸びていた。ばあちゃんの花だと思った。ベコニアはその後、結局腐らせてしまい、今はもうない。植物は好きで、大切に水をやったのだが、その育成が、私はどうも下手なようである。
暫く写真の前に飾られ、いつ無くなったのかさえ気付かなかった命日に備えた花を、母がいつの間にか外の植木鉢に移していたようだ。
玄関先の他の花々の中で、一等愛らしく華やかに咲く、薄いピンクの細かい集合体の名を知ったのは、最近である。
「ばあちゃんに買った花やで」
母は言った。
ネメシアは日を追うごとに横へ広がり、薄かったピンクが色濃くなっている。ばあちゃんのネメシアは、今が盛りだ。
ネットで調べたネメシアの花言葉は、「包容力」、「正直」、「過去の思い出」とあった。すべて祖母に繋がる言葉に他ならない。わざわざ花言葉を調べて買ったわけでもなかろう。そもそも母は、そんなことを気にして花を選ぶような人ではない。気にするのはむしろ私の方だ。
何年も前、お友達のわんこのお悔やみに送った花は、ハーデンベルギアだった。初めて見て、初めて聞いたその花に一目惚れしたのは私。花言葉のひとつに鳥肌が立ったのを、今でも覚えている。
【奇跡的な再会】
旅立っても、きっと奇跡的に再会すると、信じたのだった。
今は過去の思い出となった正直者で包容力に溢れた唯一無二の祖母が、今もちゃんと傍で見守ってくれているのだと信じたい。