時間だけを持て余す ②

 今年、やたら物を壊す。年明けから何枚皿を割っただろう。こんなことは珍しい。唯の不注意にしては頻度が高過ぎる。年々年は取って行くので、不注意でしかないのかも知れないが…。
 物が壊れるのは、新たなステージに進む段階に来ているのだと、何かに書いてあった気がした。悪いようにはならないということなのだろうか。
 壊れて心は乱れるが、前向きな現象なようである。そういう段階に来ているのはわかっているが、あまりに物事が進まないのが悩ましい。前に進みたいのに道が無い、若しくはわからないのだ。
 既に要らなくなったものは、ようやくチャンスが回って来たとしても、再び手に入れたいとは思わない。私の中では終わったことであり、決着がついたことなので、通った道をもう一度辿ることはない。知っている道を歩いたからといって、見える景色が同じであるとは限らないが、同じだったとがっかりする。それを避けたい気持ちの方が強いのだ。
 それは、同じ本を何度も読み返さない…というのと似ている。
 何度も読み返したい本というのは、ずっと手元に置いていつでも開ける状態にある。その安心感だけで充分、力になっている気がしているから必要ではあるのだが、そういった類の中に、文字だけで綴られた本は少ない。小説など、一度しっかり読み通して、物語の世界を味わってしまうと、それで充分満たされるからだ。
 また、心が動かないということは、そこが自分の居場所ではないせいだと、何処かで思っている。
 心が動かされ、高く強く望んでも、手に入らないものは山のようにある。必要ないのに向こうからやって来ることもごく稀にあるが、そういった場合、手にしてみようという興味が湧かなければ、手にすることはない。手に取ってみたけどやはり思うような希望は見出せなかった。そういう経験を、重ねた結果かも知れなかった。
 別の場所に自分の納まるべきところが必ずあって、今はそこへ辿り着くまでの、旅の途中なのだ。
 迷子になって泣き出しそうになる度、呪文のように自分に言い聞かせる。だから人よりも、色んなことに時間が掛かり過ぎるのかも知れない。誰にも平等に時間は与えられているらしいが、一日24時間では全然足りないし、人生百年時代と言われても、百年で果たして足りるのか随分怪しい。

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