読書家の定義 ②

 私や妹と違って、私の弟はそれなりに優秀な人間である。
 賢明であることに疲れたのか、一時期道を逸れてキャリアを無駄にしたものの、そこそこの学校を出て、まともな仕事に就き、難しい資格も取った。それを活かしきれてはいないものの、きょうだいの中で唯一、一般的な適齢期に結婚して家庭を持ち、今も一応ちゃんと自立している。
 彼もまたそれなりに読書家である。
 家を出た今ではどうだか知らないが、実家に居た頃、彼の書棚は私が読まないような難解な書物で溢れていた。古い文学作品や哲学書、現代的な創造物からマニュアル本まで、それらは多岐に渡る。しかし、彼の読むものと私が読むものでは、まるでジャンルが違った。というのは、彼は私が持っているような本には一切手を付けなかったし、逆に私が彼の蔵書に手を付けたとしても、難解すぎて放り出すのが関の山だったからだ。弟が好んで読む本の何が面白いのか、私にはさっぱりわからなかった。中には当時流行していたものもあったが、何故それが流行るのか、一応読んでみたとしても、私にはまるで理解出来なかったのである。
 何事にも好みというものがあって、本屋や図書館に並ぶ本の量に近い割合で、それぞれに書き手がおり、それを必要と思う読者がいる。万人受けするものを書ける作家の方が、よっぽど少ないのかも知れないが、同じ血を受け継いでいても、うちのきょうだいはまるで三者三様と言えた。
 
 因みに、母もかつては読書家だった。実際どのくらい読んでどのくらい身になっているかは知らないが、昔は世界文学全集なる、辞書くらい分厚い本が棚に列挙していたし、母の実家に帰っても、古い本はそこに居並んでいた。幼子に読書を勧める言動を繰り返し、当初は嫌がられていたが、強要しなくなった途端、何故か子どもは自然と本に親しむようになった。
 当の本人は老眼を理由に、このところすっかり活字離れが進み、新聞さえまともに読まない。大きな字で書かれた【若草物語】にさえうんざりし、一章読んだだけで終わらせて良いかと訴えた娘に、「全部読んで読書感想文を書くの!」と目くじらを立てていたのが嘘のようである。
 
 父も本が好きなはずである。読んだものより、集めたものの方が多いに違いないくらい、父の部屋は本に(もちろん他のものにも…)占拠されている。どうも定価で買っている物より、古本屋で何となく惹かれたものや、図書館から譲与された除籍図書が圧倒的に多い様子。時々、「これ読んでみー」と私の元に持って来られるものの殆どは、犬関係の本である。どうも父にとって、私は犬のことしか頭にない娘であるようだ。普段、親子らしいコミュニケーションを取っていない割には、娘のことをわかっている…と言って良いものかどうなのか…。
 
 そんなこんなで、うちのきょうだいはそれなりに本に親しんでいる。上には上がいるので、世の中に存在する〝本当の読書家〟と比べれば、とても比較にならないかも知れないが、アホだろうと賢かろうと、一応本を読む家系ではある様だ。
 幼少時を別にして、我が家は家族全員、それなりに本を読む人間達であると意識しているのは、以前から友人・知人などに、本を読んでいるという事実を驚かれるからである。
 最初は自分があまりにもアホなので、本を読むような類の人間だと思われていないせいなのかと思ったのだが、どうやらそうではないらしく、周りの友人・知人に本を読む習慣のある人が、少ないようなのだ。
 忙し過ぎて疎遠になっている親友の言葉が、今も記憶に残っている。
「活字見てたら、眠たくなる。二、三行読んだだけでもうあかん…」
 彼女は私よりも生真面目で、成績も優秀な人間だった。そんな状態で、授業に使う教科書などはどうしていたのだろう…と本気で心配したのだが、それはまた別の話で、とにかく〝読書〟というものの実生活の中に於ける割合が、殆ど無に等しい状態だったということなのだろう。
 そんな親友の娘は、小さい頃から何処へ行くのも本を携えて出掛けるような〝本の虫〟だったのだからわからない。もしかして、喋り狂う大人達からの逃避として、本を用いていたことが習慣になったのかも知れない。今年、名門進学校に入学した彼女が、この先出世したとあらば、子どもをないがしろにしてトークに熱狂していた私達も、ある意味一役買ったと自慢出来るかも知れない…か?

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