最初で最後の音楽会
現在専任している学校は市のほぼ中心にあり、自然いっぱいの田舎にありながらそこは〝都会〟と呼ばれる場所になる。市役所や市立図書館などの公共施設も、徒歩かせいぜい自転車圏内。坂だらけなので決して平坦な道のりではないが、田舎の〝田舎〟に比べると大分便利だ。
学校の隣には市の文化会館があり、各種公演が行われている。唯、私にとっては、大昔に何かのイベントで行ったことがあったようななかったような、怪しい記憶の場所である。働く以前からホールの名前は知っていたから、一度くらい何かで訪れる機会があった気もするのだが、仕事でなければわざわざこんなところまで来ることはないので、そこは〝素通りする場所〟という立ち位置になって幾久しい。
いつが始まりだか知らないが、年に一回、そこで教育大学のオーケストラが演奏会を行っている。大学のオーケストラがどんなものかは知らない。学校のものなら、演者は学生なのだろうか。サークルやクラブ活動のようなものなのか。演奏会を開くぐらいだから規模も大きいのであろうか…と考えながら、そういえば中学や高校でもビッグなところは演奏会とかやってるな…と思い直した。
ホールの隣の学校だからか、教育大学で小学校は親戚みたいなものだからなのか、その両方プラス他の事情も関連しているせいかと思うが、本校の児童がその演奏会に毎年招かれている。昼からの五時間目、音楽鑑賞会という名目で、全校児童が隣のホールへぞろぞろと移動するのだ。
先生方は勿論引率する。残っているのは事務員さんと司書…と思いきや、今年は管理職から「良かったら行っておいで」とお声が掛かった。
子どもが授業に来ない=雑務を片付けるのが定例で、棚ぼた状態の空き時間は、今年勤務時間が削減されてからは尚更、至極貴重であったが、後にも先にもこんな機会はないかも知れないと思い立ち、お言葉に甘えることにした。
時間ギリギリに学校を飛び出し、道を挟んだホールの入口を探す。音楽会といっても本番は夜なので、実際はそのリハーサル。もぎりのスタッフどころか、ロビーには人っ子一人おらず、ホールの受付や訪問者の対応は誰が何処でしているのだろう…と不思議に思った。
市の文化会館とはいえ、綺麗で立派な施設である。無人のロビーを手ぶらでやって来た人が走っているなんて不自然極まりないと、実際に走っている自分が思った。遊んだらあかんところであかんことしてる…そんな気分と、ゴージャスな無人スペースで勝手なことをしている妙な優越感に叫びだしたくなる。(危ない人?)
教頭先生が事前に座席表を見せてくれたので、人目を避け、客席最後尾を目指す。階段を駆け上がり、目指す扉を開けると子どもの海が大波を引き起こしていた。慌てて扉を閉める。どうやら一階間違えたらしい。何処へ行っても方向音痴を発揮するのは悪い癖だ。
更に階段を上がり、こっそり後ろから忍び込んだつもりが、中段サイドの入口だった。こそこそ最後尾へ回るが、図書の授業設定がなくなって、大方お久しぶりの五年生にばっちり見つかり、大歓迎される。(ちょっと嬉しい)
子どもにとって図書司書とは、勉強を教え、クラスを纏める先生とはちょっと違う感覚。何故だか何処で逢っても歓迎してくれるので、まるでアイドルにでもなったような錯覚を起こす。人生でちやほやしてくれるのは子どもだけだな…と思いつつ、こんなに有り難いことは他に思い当たらない気もする。(大人の男にこんな風にされると、嬉しいどころかちょっと引いてしまうかも)
音楽会開始までのマナーについて、今朝の職員朝会で苦言が呈されていたが、無理もないなと思う。人数の関係で、時間差移動をしてから最後の学年が着席してもまだ、演奏が始まるまで15分ある。客席には本校児童だけでなく、同じ校区の高学年も招かれていた。千人を超す子どもたちがその間、大人しく待てるはずがない。客席サイドで先生方が怖い顔をしているのが見える。誰かが声を荒げたところで、これだけの喧騒には暖簾に腕押しだと皆わかっているから、黙っている以上のことは出来ないのだ。
しかし小学生は素直だな…と思う。開演した途端、ふっと蝋燭の火が消えたように声が消える。唯、それも一瞬だった。楽器紹介を含めた子どものハートをガッチリ掴む演出を経て、演目の序盤はオペラ。子どもが聴くには似つかわしくない愛の歌だ。しかもイタリア語だから意味も理解出来ない。ま、仕方がないのだ。本番はまた別で、タダ見のリハーサルなのだから…。
出だしの歌手が客席から登場。普通の客ならテンションが上がるところ。しかし代わりに大爆笑が起きた。燕尾服姿の恰幅の良い男性が、謎に声を響かせて現れたのである。テノールが歌っている間、子どもたちは笑い続け、私は関係ないが恥ずかしかった。
テノールが歌い終えて舞台に上がったのと入れ替わりに、赤いドレスのソプラノが登場。すると今度は感嘆の声が上がる。溜息は美しい歌声ではなく、美しいドレスに向けられる。テノールとソプラノの掛け合い中、テノールが声を出す度、爆笑が起こった。
申し訳なくなる。
小学生にとって彼は、素晴らしい声を持った歌手ではなく、変な声で歌うただの太ったおっさんなのだろう。
その後、千人の子どもたちは、テノール歌手が登場するたびに爆笑した。演目がオペラだけで無かったことが、何より幸いである。
6時間目、演奏会から戻ったクラスが授業に来ると聞いていたので、子どもたちが異動する前に、こっそり客席を抜け出す。最後部に座っていたが、結局後ろに扉が無かったので、来た時と同じ中段サイドまで下らなければならなかった。
帰り、いの一番に帰ろうとしていた1年生と被ってしまった。ここでもアイドル扱い。司書を図書室以外で見かけることが珍しいのかも知れないな…。
彼らに付いて行きつつ、時々追い越して、ちょっと話しながら歩く。行列は、正面ロビーから入った私が知らない裏口から出た。それに付いて行くと、学校へ続く抜け道に繋がっているのだった。
一緒になった一年生に言われる。
「先生、演奏してたやろ?」
目が点。一体誰と間違えてる?