自覚症状と危機

  

 最近、テレビを見ながら苦言を呈したり激しいツッコミを入れてしまう…という、自覚症状に気付くことが頻繁にある。
 今までは、大笑いしたり驚いたり、見ていられない映像に対しては慌ててチャンネルを変えたりする程度で、声は発しても言葉を発することは殆どなかったと記憶する。それがこのところ、やたらと喋ってしまうのだ。
 認知の始まりとかではないだろうか…と心配になり、思わず検索をかけるが、意外や意外、負を感じるような意見が目につかなかった。ざっと見ただけなので、情報収集に偏りはあるかも知れないが、負と捉えるとすれば、周りの人間が「うるさい」とか「ウザイ」と、不愉快に感じているくらいである。それはそれで重大な危機でもあろうが、テレビに対して独り言のような、会話のような、今の私が自覚している症状のある人自身が、何か良からぬ問題を抱えている可能性がある…というような記載は見当たらなかったのだ。
 逆に、“コミュニケーション障害が治る”とか、“関西人はやたらとツッコむ”とか、一見して、それってむしろ良いことでは無いんだろうか?と解釈できるような言葉の羅列が項目の上位に位置していたことから、私は自分の自覚症状を懸念することをやめた。
 元々、口から先に生まれて来た…と親から言われるほど、喋り過ぎの人間らしい。これに関してはあまり自覚症状はなく、喋り過ぎなのだとしたら、一定の友人か、母親を相手にした時ぐらいだろうと思っている。相手によっては、私を話好きとは認識していない。外ではむしろ聞き役で、どちらかというと自分のことを話すより、人の話を聞く方が好きだから、口ではなく、耳から先に生まれて来たと思っている人もいるかも知れない。(確認したことは無いが…)
 近頃、テレビとの会話が多いことには、ちょっと思い当たる節がある。そもそも外に出て人と関わる機会がめっきり減ったせいではないかと思うのだ。
 身近な対話の相手は主に母親や犬であり、散歩先で出会う犬関係の知人や、畑の親世代とは話したとしてもそれほど長くなりはしない。普段からテレビを真剣に観るタイプでもないが、ひとりで観ている時は文句も言わないしツッコミもしないのに、親と見ている時に限ってわーわー言っている気がしている。恐らく、テレビの中の人間と、横で見ている母親と、複数でその場に存在しているように錯覚して、声だけでは収まらず、言葉を発して会話してしまうのだろう。
 現に私は、生まれは四国の母の実家だが、育ちはずっと関西だから、“テレビにやたらとツッコむ”とされている関西人に当て嵌まる。
 番組によっては、登場している出演者をやたらと応援してしまうこともある。感情移入も甚だしい。コミュニケーション障害が治るどころか、コミュニケーション障害だから生身の人間ではない相手とばかり、コミュニケーションを取ろうとしてしまうのではないかとさえ思うのだが、実際はどうなのだろう?
 因みに、過去に放送されていた朝ドラでは、やたらと予知能力が働いた。思ったことを先走って口に出せば、次の台詞で私が先に呟いた言葉が発せられたり、ツッコんだ矢先にオウム返しされたりする。そのドラマが、単純明快に創られすぎていたことが原因ではないかと想像するが、同じように感じていた関西の視聴者ってどのくらいいたのか、また、関西以外の視聴者でも、その番組に対して予知能力が働いたものなのか、今、とても気になっている。


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