新しい手帳
新年に向けて用意した手帳を開いたのは11月の半ばだった。使い始めるのは未だ1ヶ月半先だったが、基本情報を今の手帳を参考にしながら転記する作業に、毎年時間がかかる。かなり面倒臭いことをしているが、新しい年への希望と、モチベーションアップのためには欠かせない。
書き記すのは個人の基本情報に加え、身内の誕生日や命日、そして、これまで自分を支えて来た言葉の数々だ。悩みながら生きて来た過去の狭間で励みとなった言葉を、開けばいつでも目に触れられるようにして、行き詰った時には救いの糧としている。減ることはなく、増える一方だが、最近は、増えることもあまりなくなってきた。格言的な本から離れているせいか、一定量で定まってきたせいか、正直わからないが、ここ一年ほど、新しい言葉を追加した記憶はない。だからといって、現在、記録されているものだけで足りないとも足りているとも言えない。ぶり返す悩みから脱出出来ていないのが現状なので、しんどさは常にある。救いは未だ見えない。こんな状態がいつまで続くのか、予想もつかないから、正直、新しい年に希望など見出せないし、早々と手帳を手に入れたくせに、毎年のこの作業から逃げてきた理由も、そこのところにあると言って良い。
しかし、しなければいけないと思いながら放置を続けたところで、何にもならないとわかっているから、満を持して“今出来ること”そして“いずれしなければならないこと”と自らの尻を叩いたのだ。年の瀬が近付けは、大掃除に人生の時間を占拠される。手帳の下準備も年賀状の制作も、新しい年を初心に返って迎えるうえで、私にとっては欠かせない作業だから、時間があったはずなのに逃げていてしなかった…というのは、結局、自分で自分の首を絞めることなる。年賀状はあと、年賀状を購入して印刷し、各自にメッセージを記せば出せる。大掃除は師走の丸一ヶ月、ぶっ通しで行う。今のうちにしておかなければならないのは、残る、手帳の下準備だけだった。
個人の基本情報、身内の誕生日や命日を改めながら、必要な贈り物を買い忘れないよう、マンスリーのメモ欄に書き加える。土日祝日に映画を安く観られるイベントデーが被っていれば、それは“映画の日”として事前確保する。観たいものが無ければ削除される予定だが、観たいものが出てきて、公開中であるなら、既に日が確保されていると予定を入れやすい。
一番の大仕事である“言葉”の転記をしながら、例年になく、今年は笑った。
今年の手帳に記された、“昨年行った転記”に誤字があり、本来の意味とはまるで違っていることに気付いたからだ。
人間なので、間違う時は間違う。毎年何処かしら誤字や脱字が生じていて、後に気付くことはままあるが、意味が変動して笑うようなミスを、していた記憶は特に思い出せない。しかし気付き、笑ったのは、今、精神的、金銭的に不自由さを感じて生きている現状であっても、“時間”という枠組みの中では、充分自由で満たされているからかも知れない。
幾つもの言葉の中に、これがある。
【寂しい方が忘れない 思い出が宝物になるから】
映画『くるみ割り人形と秘密の国』の中の台詞だ。
この作品自体を思い入れのあるものに昇華させることは叶わなかったが、この言葉だけはとても胸に染みた。私の中では、失ったいくつかの大切な存在に対する心の傷が、いつまでも胸の中に残っている。それが時々、自分の力ではコントロール出来ない威力を持って疼き出す。そう…ずっと寂しいのだ。だから忘れない。思い出だけが宝物になっている。それを、映画を観て、その台詞の字幕を読んだ時に腑に落ちたのだった。
しかし今年の手帳には、その名言の後にこう書かれてあった。
(映画『くるみ割り人生と秘密の国』より)と…。
くるみ割り人形ではなく、くるみ割り人生。一体どんな人生かと思う。
残り一ヶ月半あったが、この年、私は一度も、一粒のくるみさえ割っていない。しかし、実りのない不毛な日々を過ごしたと、張る必要は無くても胸を張って言えるような燻った日々を過ごしていた。くるみを割り続ける人生を送るつもりはないし、くるみ割りを生業にする予定もないが、変な間違いをして笑ったことを、以後、何かのきっかけに思い出すために、書き直さずそのままにしておこうと思う。勿論、新年の手帳にはちゃんと、“人形”と書きましたが…。
過去の自分を励ました言葉の数々を転記しながら改めているうちに、心が癒されていくのを感じた。
悩みは繰り返すということなのかも知れないし、私は結局、成長出来ていないということなのかも知れない。
しかし、過去の自分が今の自分を癒す手助けをしてくれた。それもまた事実である。
相変わらず毎日苦しい。早く変わりたいのに変えるチャンスもなく、きっかけさえも手に出来ていないからだ。それでも、今は我慢の時なのだと思って耐える。そういう時期である可能性もある。それがわかったから、もっと何度も、“言葉”を読み直さなければ…と思った。
この日、私は、大切な作業を一つ終えたのだと思う。今だけでなく、ちゃんと明日を生きるために…。