人生の肩書
ずっと気になって仕方なかった。毎週、そのタイトルの記事を目にする度、違和感に襲われた。近い身内にいちいち愚痴った。ずっと、気分が悪かったのである。
毎日読んでいる新聞のコラムがある。大抵興味深いので、必ず読むのだが、たま~に非常につまらなくて、何故この記事が採用されたのだろう…と思った時はすっ飛ばす。それでも大方読んでいる。つまらなければすぐに忘れる…ということの方が多い。
書いているのは記者ではなく、一般人だ。ずっと女性ばかりだったのが、週に一度、男性の投稿が載るようになった。社会的な性差に対し、世の中が口うるさくになり始めたせいか…とも思ったが、そもそも女性が書いた記事ばかりを集めていたのか、圧倒的に投稿者が多かったからそうなったのか、歴史あるコラムの成り立ちまで調べてみようとは思わなかったために、特に気に掛けていなかった。唯、いつも思っていた。女性で、しかも年配の人が殆どだな…と…。
週に一度、男性投稿者の記事が載るようになって、8割方感じることがある。後の2割に違和感はないのに、その8割が圧倒的な存在感で私を嫌悪させる。結果、その週一回に、気分を害することが増えているのだ。
先ず、言葉の使い方が横柄である。または上から目線。まるで親しみを感じない。お前、誰様やねん。と、更に横柄な口の利き方で、内心呟いてしまう。どっちが良くないのかわからない。
そして職業である。
コラムの最後には、居住地域、氏名、年齢、職業が記載される。時には【匿名希望】と書かれていることもあるが、ちゃんと記されていることの方が多い。女性の場合、地位の高さを感じさせるとしても、【自営業】とか【公務員】とか、一般的に高給取りと感じさせる専門職の職業名とかである一方、【主婦】や【無職】も多い。60代以上の投稿者が圧倒的に多いために、職を退いている人が多いせいだろうとは思うが、それらの年配者が書くコラムが面白く、勉強になり、刺激を受けるから読み始めたのだと言っても過言ではないのだ。
では週一回の男性投稿者の場合はどうか。
【自営業】の方の投稿を見た記憶がない。女性と同じく、【公務員】は見たことがある。【無職】と書いている人は一割も満たない。女性版と大きく変わらず、60代以上の投稿者が圧倒的に多いにも関わらず…だ。ではその他の投稿者の職業欄はどうなっているのか…。そこに毎回、吐き気がするのである。
【元公務員】【元教員】【元〇〇学校校長】【元大学教授】【元医師】【元会社経営】【元〇〇法人幹部】…etc.etc.etc.
男って、何故これほどまでに過去の栄光に縋りたがるのだろう…と思う。現在もその職に就いているのなら特に気にならない。学歴が高く、社会的地位も高い、エリートなんだな…すごいな…くらいは思うかも知れない。しかし列挙されているものには殆ど【元】が付く。職業って、現職を書くのではないのだろうか?退いても尚、過去の職業を世間の見ず知らずの読者にアピールしたい。その心とは…?
私は【無職】と書かれてある職業欄が好きだ。女性であれ男性であれ、高齢の投稿者であれば、『あぁ…この人は、ゆったりと老いを愉しむ中で、このような細やかな刺激に日々を照らされて、緩やかに生きておられるのだな…』と想像する。社会的には何者でもなくなった一老人。それを恥とも誉とも考えずに、今という時を大切に生きている…そう感じる。
職業欄に【元】と書くくらいなら、【元】を取ってさっさとその職業に戻れば良いのに。それが出来ないから、退いた今でも、社会的地位が高かった若かりし頃の立ち位置に拘り続けているのだろうな…。そんな意地悪な見方しか出来ないから、私は毎度、気持ち悪くなるのだろう。
仕事って大事だと思う。お金も、あって困る人の方が絶対的に少ない。でも〝職業〟って、そんなに大事?
過去の栄光に縋って生きなければ、〝今〟という人生の一部分が、鬱屈して仕方がないくらい、【元】と付けてまでも公表しなければならないくらい、大事なのだろうか?
理解に苦しむ私は、将来、世の中で知らない人がいないくらい、顔の割れた億万長者になったとしても、堂々と胸を張って肩書を「無職」と言えるおばあちゃんになりたい。