用法用量の重要性

 鎮痛剤を飲み過ぎるのは良くない。この年になっても、未だ母から言われることだ。〝飲み過ぎる〟という量がどの程度なのか、私にはよくわからない。一日何錠、何回まで…という但し書きはよく目にするが、それを越えなければ飲み過ぎには当たらない。そう思う。一方で、一日何錠、何回まで…を守っても、365日毎日飲み続けていれば、それは飲み過ぎだと思う。一日何錠、何回まで…を、月にどの程度飲んでいたら飲み過ぎに当たるのか、恐らく母と私の中でも感覚は違うのだろう。
 知人は一時期、ロキソニンを毎日服用していた。私の知る限り、数ヶ月は続いていて、知らないところを合わせれば、それは月を越えて、年単位で服用していたとも考えられる。ありとあらゆる病院にかかって、その何処に行ってもロキソニンを所望し、どういう風に言えばそんなに大量に手に入れることが出来るのか、不思議なほどに、常にぱんぱん状態の紙の袋を持ち歩いていた。現在、ロキソニンは、薬剤師の居るドラッグストアでも処方箋なしで購入することが出来るが、彼女が大量に持ち歩いていたのはそれ以前のことである。
「一日何錠、何回までは大丈夫やから…」と、〝何〟のところの数字は忘れたのでご想像にお任せするが、その上限は超えないよう、本人も気を付けていたようだ。それでも毎日飲んでいた。その時点で私は飲み過ぎだと思ったから随分心配していたのだか、彼女は「痛みに耐える方が辛い」のだと、常軌を逸した目をして明るく言った。
 数年前からの不具合で、私は月に何度か、鎮痛剤を飲まずには過ごせない。苦しまなくても良いような日常生活を心がけているつもりではいるが、思うようにいかないことが多々ある。最大の原因がストレスであることは薄々感づいているが、それを「溜めないように」とばかり言う医者の言葉に、「どうやって溜めないように生きられるのか、むしろ教えて欲しい」と声を大にして言いたい。言いたいだけで言わないのは、言っても無駄だし、従ったところで効果には反映されないからだ。
 ずっと軽めの鎮痛剤を箱買いしていたが、薬局でロキソニンを買えるようになってからは、常備している軽めではなく、一回一錠で大方効果を感じられるロキソニンを服用していた。しかし今、それを切らしている。先月、想定外に飲まなければならない日が続いたせいで、ストックが無くなってしまった。慌てて買いに行かなくても、暫くは大丈夫だろうと機会を伺っていたが、思いの外早く、新しい月に不調がやって来た。しかし、店頭で買うより、ネットで買う方が確実に安いと知った。だったら翌日着だからネットでぽちっとやったらしまいなのだが、それをしないのはひと箱買いだと送料がかかるからだ。まとめて買うか、他の者と合算するか迷っている間は、未だ耐えられるということにも気付いた。そして現在、軽めの方でやり過ごしている。
 ロキソニンでなければ効果が無かったものを、何故軽めの方で何とかなっているのかという、はっきりとした理由がある。私がちゃんと、用法用量を守っているからだ。今までは守っていなかった。胸を張って言うことではないと思う。
 前述した、「鎮痛剤を飲み過ぎるのは良くない」という母の言葉が、私に用法用量を守らせなかった、ひとつの理由でもある。一回二錠のところを、ずっと、一回一錠でやり過ごしていた。それでも何とか効いていたのは、どちらかというと痩せ型だったからだろう。
 薬というものは概ね、体重によって必要量が決まる。痩せ型だったとはいえ、一般的な大人の体重にしたら、決して少なすぎるわけではない。しかしずっと効いていたということは、耐性が無かったせいで効いていたとも言える。
 しかしここ数年、殆ど飲まなくても良かった頃に比べ、鎮痛剤の摂取量は明らかに増えている。つまり耐性がついてしまったせいで、少量では効かなくなってきたのだろう。理由はそれだけではない。この3年で、私の体重は5キロ以上増量した。意識していても減らないのが現状で、体重が増えたということは、薬も用量を増やす必然性が出てきたことに比例すると見た。
 今月、軽めの方の鎮痛剤の、用法用量を見直し、通常量飲んでいる。使用期限がヤバいことになっていたことも理由の一つで、どうせ処分しなければならないのなら、必要量飲んでからにしようと思い立ったのだった。
 結果、ロキソニンを飲まなくても効果を実感し、未だ不調は続いているが、飲めば何とかやり過ごせている。
 用法用量って大事。母の言葉は参考にも救いにもなるが、やはり専門分野では、医者や薬剤師の言葉に耳を傾け、但し書きに従うべきだと思った。


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