すぐに風化してしまうであろう一石 ②

 その年の誕生日を迎えた日、例の朝刊と同じ欄に、新たな記事が載った。
【非正規公務員 女性しわよせ】というタイトルの下に書かれた記事は、まさに自分が該当者であることを実感させた。
 保育士、図書館職員、非正規公務員の4分の3である女性…という場所に、長年私は居たのだった。
 公務の世界に育ててもらったと思っている。しかし一方で、公務の世界に殺された…とも思えるのだ。
 不利な状況からの改善を図るかに見えた〝会計年度任用職員〟という名称には、未だに嫌悪が募る。その新システムで、より不利益を被った非正規公務員の方が圧倒的に多いのではないか。その考えが消えないからだ。
 求人情報を探し始めて5年以上が経つ。その間、一時的に働きはしたが、「自分の足で立ち、自分で自分を養うために定年まで勤めあげられる仕事に就く」という当初の目標は、今も達成出来ていない。間もなく新年度が始まるというのに、世の中には、我々のような立場の人間に開かれた仕事というのはあまりにも希少で、しかも終身雇用など夢のまた夢であることが身に染みる。
 その年の国際女性デーが投じた一石に因り、紙面やメディア媒体には、女性の雇用格差についてのニュースが溢れた。
 したい仕事が見つからない私。したいと思ってもさせてもらえない私。無職期間が数年を越して、年齢だけは順調に重ねているが、社会からはどんどん遠ざかっている。自分の居場所が、この世の中には存在しない。
 医療は子どもには手厚いのに年配者には厳しい。それと同じで、雇用は若者には親切だが年齢が上がるにつれ、手厳しくなっていく。
 時代は変わって行くのに、我々世代に優しかった時代が、一体いつあっただろうか…思い返しても思い出せない。
 つい先日、たまたまかけていたラジオ番組で、大学生のリスナーが送ったメッセージに、こんなものがあった。
「就職活動中ですが、活動していると、一体自分は何がやりたいのか、段々わからなくなってきます」
 まさに私も同じ状況なのである。
 わからなくなるのは、したい仕事があまりにも見つからないからだ。万に一つに見つかっても、年齢制限や学歴の壁が高く立ちはだかる。力が付いたと確信が持てる実績を背負っていても、職務経歴を示す書類の文字が、我々が働き始めた時代に存在しなかった〝正社員〟という肩書でないだけで、我々は淘汰される。就職氷河期世代は、死ねと言われているのだろうか?
 大変だった時代に、圧倒的な競争率を突破して終身雇用を獲得した一握りが、心身も壊さずに生き残っていれば、それこそ〝実績〟と称されるのだとしたら、その他の大多数は何という枠組みに仕分けられるのだろう。
 知人の息子さんは私よりもいくつか年上だ。もう何年も派遣社員で、3年に一回は仕事を代わっているのだと聞いた。そんな大変なことを、これ以上続けられない。そう思ったから私は、一大決心し、天職からも行政職からも手を引いたのだった。
 決死の覚悟が必ずしも新たな結果を生むわけではない。そんなことはとっくにわかってしまった。しかし引くときに引かなければ、私は一生、雇用格差とワーキングプアに悩み続けながら働き続けなければならなかった。その結果が現在の無職無収入であり、希望のひとつも抱けない現実の日本であるのだと、直視しなければならない現状からどうやって逃れるべきなのか、最早判らなくなっている。
 私は何処へ向かうのか…。
 せめて死ぬとき、自分は精一杯やったのだと、ご先祖様や愛する存在に納得してもらえるよう天命を全うしたいと、唯思う。

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