路上…芋虫だらけの怪

 散歩からの帰り道、いつも石蹴りするアスファルトの道が、何だかいつもと違った。蹴った石を探しながら歩くせいで、道々石と見紛う小さな個体が、四方八方に転がっているのが気になる。道の隣は福祉農園で、沢山の人が畑仕事をしているから、野菜くずや、近くにある月極駐車場の砂利なんかが落ちていることがたまにはあるが、そもそも通るのは歩行者か自転車、たまに通れることを知っている原付バイクと、通れないことは知っているが畑に来て帰って行くだけの車両程度なので、道が汚れていることは殆どない。運んだ馬糞は傍に立てかけられている箒で、散らばらせた人がちゃんと片付けるし、日常的に石蹴りしている私たちも、ぽちゃんしなければ石は持ち帰るか砂利の一団に加えるので、舗装されたアスファルト上に、個体がごろごろ転がっているような奇異な光景とは無縁なのであった。
 石と思って犬が匂いを嗅ぐので顔を寄せてみる。小石大の大きさだから、近眼とはいえ明るい間は眼鏡をかけずに散歩に出かける。しかしそこそこ近付かねば、固体の正体を突き止めることは出来なかった。四方八方、縦横無尽に転がっているのは、白い幼虫であった。
 白い幼虫は、芋虫とは呼ばないようである。でも私の中で想像出来る芋虫とは、まさに転がっている幼虫である。気紛れに畑仕事はするから、その姿は土の中から何度も発掘したことがある。根切り虫かカナブンか、成虫になった時の姿まで予測は出来ないが、しょっちゅう目にする類のものではあった。但し、それらはあくまで、鍬を振るった先から登場するものであり、アスファルトの路上に、戦場の死体の如く、道々転がっているものではないはずである。自分と犬が、異常に気付いて歩みを緩めた時、立っている場所が芋虫だらけで、その中を石を追って走っていたのだと知って、一気に背筋がぞっとした。よく、踏まなかったものだ。
 虫にそれほど恐怖心はない。アブやハチなど、刺されて危険を感じるものは恐ろしいが、その他は割と平気である。幼少時、弟が虫博士だったこともあって、虫は身近な存在だったし、積極的に触ろうとはしなくても、大抵のものは触れる。バッタやカマキリに出会うと嬉しくなるし、テントウムシやカブト、クワガタ、カナブンなんかはお宝に見える。トンボを見れば目を回したくなるが、未だ成功したことは無い。虫を見て、きゃーっと逃げる男子や女子を見て、私はそうなれないと、いつもしみじみするタイプだ。
 しかししかし、芋虫はいけない。発掘したものは遠くへ行ってもらうが、愛でることは出来ないから好みではないと言える。しかも今、目の前に広がるのは、自然とは言えない光景だ。一体どうやったらこんなことになるのだろう。行きも通ったこの道が、帰りにこんなことになっているとは想像すらしなかったから、衝撃以外の何ものでもなかった。
 芋虫畑に寝そべられては大変なので、石を蹴って休憩を求める犬を急かして歩かせる。恐怖のあまり、帰るなり母への報告事項となった。
 私が見た幼虫は、馬糞から発掘されたものであるらしい。運んで撒く段階で、発掘した人が路上に投げ捨てる。それが繰り返されて、戦場の死体のようになったのだろうと母は言った。
 母は現場を見たらしい。発掘しては投げ捨てる。それをやっている人の中に、日常的に親しく話をする知人が含まれていると知って、俄かに愕然とした。そういえばさっき、挨拶したところではないか!
 知らん顔して本人に、驚愕現場の話をしてやろうかと思っていたら、翌日、戦場の死体はひとつ残らずなくなっていた。しかし、転がっていたであろう場所には、こすりつけたような黒いシミが無尽に付いている。アスファルトには美しくない水玉模様が出来ていた。
 鳥が獲物として連れ去ったのなら文句はない。しかし鳥が、こんな風にシミを付けるだろうか?現場を見ていないので憶測でしかないが、処理した者が潰して集め、捨てたのではないかと想像する。幼虫は害虫になるから、潰して捨てなければならないならそれも農作する人間の仕事だろう。しかし、何故土の上で処理できないのか?路上は道であり、人が通り、自転車が通る。誰かが踏む可能性のある場所に一定期間放置した理由とは?そこを穢さねばならなかった理由とは何なのか?私には理解しかねる。
 そして、私が唯々自分の憶測に振り回され、勝手に憤っているのだとしたら、あの芋虫だらけの奇怪な道の説明を、誰か納得出来る言葉で説明して欲しい。普段、敬う気持ちをも抱く人生の先輩たちが行ったとされる異常行動の意味を!私は未だの未だ若輩である。


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