媒体を通して社会に問う ③

〝お夕飯〟という言葉に慣れない。何度も出て来るのに慣れない。出て来る度に吐き気を催すくらい、何だかアレルギーっぽくなっている。そしてやたらと出て来るのだ。〝お夕飯〟が!
 気になっているから沢山出てきているように感じるだけなのかも知れない。そこだけラインマーカーを引かれたように、光って見えるだけとも言える。しかし何故、〝お〟が必要なのだろう?
 他の文章は至って普通である。〝お〟が強調された単語も、他に記憶に残るものはない。あるのかも知れないが、使い慣れていて〝お〟が付くのが当たり前…と感じているものだから気付いていないだけかも知れない。例えば、出ては来なかったけれど〝お歯黒〟とか…。
 著者は夕食のことを〝お夕飯〟と言う家庭に育っただけで、その言葉を使うことに違和感がないのかも知れないが、ならば朝食は、昼食は、何と書くのだろう?お朝飯?お昼飯?そんな言葉、私が知らないだけで、あるにはあるのだろうか?
「晩御飯を食べている時に…」
「ご飯を食べている時に…」
 いずれも他人に、母を「お母さん」と表現している幼稚な雰囲気は否めないが、こちらのほうが未だしっくりくる。
「晩飯を…」「飯を…」と書かれたら、母を「おかん」と表現しているような若干の乱暴さを感じるから、それはそれであまり気分は良くないが…。
 日本語ってつくづく難しい。
 しかし私は問いたい。著者は何故、〝お夕飯〟を選んだのか。
 また、私のように〝お夕飯〟に吐き気を催す読者がいたなら、是非語り合ってみたいものである。

 因みに現在、私は同じ著者の作品をもう一冊借りている。その中にも夕食が〝お夕飯〟と書かれていたら、発狂するかも知れない。別の言葉でいかにも〝普通〟であったら、それはそれで、だったらあれは何やねん?と思うかも知れないが、他にも気持ち悪い感覚が残るようなら、この著者の作品は、唯単に私に合わないというだけであろう。


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