昔のことばかり思い出す

 このところ、昔のことばかり思い出す。働いていた時のことだ。
 そろそろ運動会の時期で、練習やそれに向けた保育の変更がしんどかったな…。
 嫌々通っていたアルバイト終わりに、受けた保育園から不採用の電話がかかって来たな…。電話を受けた時、陽は既に沈んでしまって、夜ではない暗い夕方が、肌寒くて寂しかった。不採用はショックだったが、園のある場所の心地が悪く、働きたいと思えるような雰囲気の職場でもなかったから、悲しいのかホッとしたのか、随分複雑に感じた。それでも、微々たるお金のためにやっているアルバイトが苦しすぎて、採用されたらそれはそれで抜け出せると思っていた。結局受からなかったが、間もなくアルバイトもやめてしまった。
 思い出すのは保育士時代の記憶で、それはイコール、非正規雇用で一年ごとに、次の契約を結べるか、心臓が飛び出すくらい心配しなければならないようなストレスを伴っていた。好きで仕方なかった仕事。失った後、時間はかかったが、別の仕事に出合って、いかに自分が狭い世界で生きていたかを知った。もう二度と、保育士に戻ることはない。今、はっきりと言える。
 しかし、望む仕事に就けない。どんな道で、どんな場所で、どんな仕事をすれば自分が心地良く、生き生きと過ごせるか…それははっきりとわかったのに、運も縁も、まるでない。
 一方で、就職氷河期に得られなかった保育の仕事は、世の中に溢れている。正規も非正規も、他の職種に比べるとずっと多い。何処もかしこも人手不足で、しかし勤務形態や条件は苦しい。何も変わっていないんだな…と感じる。
 したい仕事を掴む力がないせいで、いつか保育士に戻らなければ、就業の道などないのではないか…。心がそう不安視しているから、昔の嫌なことばかり思い出すのかも知れない。そればかりでなく、季節は着実に移り変わっていて、いよいよ長い夏を経て秋がしっかりと主張を始めていたから、私は前向きさを失いつつあったのかも知れない。
 戻りたくはない。折角抜け出せたのだ。
 しかし目指す道がない。それがどれだけ辛いか、わかる人はいない。少なくとも私の周りには…。
 したい仕事をしている自分を想像する。どんな場所で、どんな環境で、どんな仕事をしていれば、自分が輝けるか…。考えるとウキウキしてくる。しかし幻だと気付かされる。未だ、運も縁も、私には巡って来ない。
 妥協すべきか…とお尻を叩く自分がいる。しかしやはり戻ってしまうだろう。妥協して、身を置きたくない立ち位置で、毎日不満に悶々としながら与えられた仕事を熟す自分の不本意さに、納得できない苛立ちを抱えながら働くことになる。過去に何度か繰り返したことだからわかるのだ。
 あの時とは違う。そんな風には思えない。成長しているつもりで、自分は全く成長出来ていなかったということなのか、年だけ取っただけだったのか、最早判断すら出来なくなっている。
 いつか変わる時が来る。きっと…。今、私は、その時機を待っている。
 しかし待っていても変わらない。自分が変わらなければ何も…。
 私を否定するなら、人はきっとそう言うだろう。そうかも知れないと、何処かで思う私がいないわけではないから尚更だ。それでも、想定できる失敗を、繰り返す気になれないまま、私は毎日、代り映えも進展もしない時間の流れに身を任せている。
 心が動く瞬間が来る。必ず。信じなければ生きてなんかいられない。
 昔のことばかり思い出して辛い時には、思いっきり泣いてみようか…そんな風にちょっと考えている。
 笑う努力ばかりして、私は無理を、知らず知らずにしているように感じる、今日この頃である。

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