愉快な隠居状態…の不思議

 現在、隠居状態である。望んで…のことでは無いし、隠居するには若すぎる年齢だが、状況的に、隠居生活から抜け出せていない。時に焦り、悩み、迷子になって、自分はこれからどうなってしまうのだろう…と悶々と暮らしていたが、ここ数ヶ月は、何故か現状を愉しめている。
 することが増えて、悩んでいる暇がなくなったせいかも知れない。
 ずっと籠って人との関係を断っていたのに、生活にほんの少し、人が出入りするようになったからかも知れない。
 意識的に外へ出るようになって、刺激を受けながら、日々を充実させられているからかも知れない。
 とにかく、忙殺されない程度の忙しさというものが、私の代わり映えしない日々に陽の光を当てている。天気はこのところ曇りがちで雨も度々降るが、無駄にすることがなくてつまらないことばかり考えては落ち込んでしまう生き方からは、離れられている。
 来月は大掃除月間だから、ゆっくりしている時間などまるでないのはわかりきっている。備えて今のうちにしておかなければならないこと、片付けておきたい案件を、何とかすることが最優先事項だ。
 毎日惰眠を貪ってはいても、それも含めて私は忙しい。

 そんな中、何故か最近、相談事を受ける機会が増えている。
 元々、籠り出して間もなく、転職した知人から定期的に仕事に関する相談を受けていた。彼女が就いたのが、私の前職だったことが理由で、彼女にとっては初めての職業だったからなのだが、職場や人間関係、働き方などについてのアドバイスを繰り返すうち、彼女は自ら道を切り開いて問題解決の糸口を見つけた。
 以来、相談も連絡もなくなったのだが、安心して働けるようになった証拠だと思ったため、こちらから連絡することはしないようにしていた。
 先月、昔の同級生2人と、ほぼ卒業以来の再会を果たしたのがきっかけのように、明らかに身の回りの空気が変わったと感じている。彼女たちとも、その再会以来、連絡を取り合ってはいないが、会食時には自然と、それぞれがそれぞれの近況を報告することに加え、若干の悩み相談などが交わされた。

 今月に入り、誕生日を迎えた友人にカードを送ったところ、仕事のことで随分しんどい状態になっていることを知った。仕事が無くてしんどい私に対し、仕事に忙殺されてしんどい彼女は、もう何年もその状態から抜け出せていない。コロナになってから会えていない分、余暇の予定を気にすることなく、時間を仕事に費やせる時間が増えたことは、やたらと持ち帰り仕事や徹夜を繰り返す彼女にとって、ある意味良いことであるようにも思えていたのに、相談出来る相手がいない現状が、彼女を追い詰めているらしかった。
 長文のラインを見て、彼女は鬱になっているのではないかと思ったが、どうなのだろう。仕事を辞めたいと書きながら、【死ぬまで辞めさせてもらえない】と書いてきたり、彼女は一体誰のために、何のために働いているのかと不思議で仕方がなかった。

 そして我が妹である。
 彼女は仕事で外に出たいが、子どもが保育園で感染症ばかりもらってくるから、なかなか出勤できない。正社員ではないせいで、仕事を休む事になるのは自分ばかりで、家事もワンオペだと、随分前から苛々を募らせていた。
 私は元保育士なので、出産前から「子どもを保育園に入れて働く」と宣言していた妹に、「多分無理やで」ということは言い続けていたが、彼女は聞かなかった。感染症目白押しで休まなければならなかったり、急な呼び出しでまとも働けないであろうことは伝えてきたが、外に出て人や社会と関わりたい気持ちが強い妹は、自分の欲求を優先する以外の選択肢を持たなかった。依って、予告通りの現実に加え、感染症が自分にもうつる…という更なる苦難を繰り返しては、完全に落ちてしまうのだ。

 昔から、人から相談されることは度々あった。世の中の人に比べて、それが多いか少ないかはわからないが、自分が相談しなくても相談される機会はあったので、一部の人にとって私は、相談しやすいと映る人間なのかも知れない。
 しかしこのところのそれは、どれもこれもやたらと重い。重い分だけ、聞き流すことが出来ないでいるのだが、社会から離れてそろそろ一年が経とうという若輩の隠居者が、何を求められているのかは正直わからないでいる。
 暇だから話を聞いてくれるだろう…と思ってのことなのか、それとも隠居者の意見というものを聞きたいのか、特に妹とは最後に必ず大喧嘩になるので、これって役に立っているのかと、益々謎めくばかり。人の話を聞くことは苦にならないが、こうなると疲弊するだけである。

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