すぐに風化してしまうであろう一石 ①
二年前のことだ。3/8(水)朝日新聞朝刊、47歳非正規独身女性の記事を読んで、発狂しそうになった。叫び出したくなるのを必死で抑える。これから先もこんな世の中を、このまま生きて行くのか?と問われたような気がした。
就職率100%という触れ込みの短大に入り、求職掲示板に求人票が紙一枚も張られていない年に卒業した。2年勉強しても希望が持てなかった専門職に、就く気はなかったが、そもそも仕事自体がない。進路に悩んで指導教授である担任に相談に行くと、一言言われた。
「マクドでバイトでもすれば?」
その言葉が今も忘れられない。
生徒に好かれていた教授だったように思う。しかし私は大嫌いになった。
数年前、何度目かの求職活動中に、担任だった教授も来るから…と、幹事役の同級生から同窓会誘致の電話がかかって来たことがあった。在学中、大して何か話した記憶もない相手だ。
仕事もしていなければ結婚もしていない、子育てなんて、異世界の話だった。所謂〝一般的〟な〝女性〟らしい人生から、私は大分、かけ離れて生きているのだと身に染みた。夢に破れて目標を見失い、それでも近い場所を求めたが反対に遭った。目標など持てないま入った短大は楽しかったわけでもない、むしろ世間体や世の中のレールに乗っているように見せかける、親の満足を得るためだけの進学だったから、資格と仕事を獲得するために通ったようなものだった。
同窓会に行く気は無いし、担任に会いたいなど、微塵も思わなかった。断っているのに引き下がろうとしない幹事の気持ちもわからなかった。担任も来るのだから、出来るだけ大勢、参加者を集めたかっただけかもしれない。当時唯一連絡を取り合っていた友人は行くことにしたようで、何故行かないのかと何度も問われたが、彼女が私が行き渋る理由に気付かないこと自体が謎だった。
皆一旦は就職し、結婚し、出産・子育てを経験していた。私はそのどれも、何一つ満足に出来ていないのだった。
就職氷河期世代の独身女性を取り巻く雇用格差の問題は、既に何年も取りざたされていたはずだった。一時は救済措置について国会の議論にもなったと記憶する。しかし国の謳う〝救済〟とは、足りないところへの穴埋め…という、人員不足の業界や雇用する側にとって都合が良いだけの〝見せかけ〟以上にはなり得なかった。当事者たちからも大きな反発を受け、更にコロナ禍に翻弄されて、本来の問題は風化されてしまったように思う。
元々薄給だった天職からの離脱を決意したのは5年前だ。半年ないし一年ごとに、次の年、仕事があるのかどうか、心配で夜も眠れなくなるような生活を長年続けた後、何とか5年は腰を据えて働ける、望んだ仕事に就けて自信もやり甲斐も手にしたはずだった。しかし5年の契約満了を待たず、最後の一年には勤務時間と給料削減という不利益な変更に遭う。業務量は殆ど変わらず、手当の付かない残業を当たり前のようにして、最後の一年をやり過ごした。天職から離れてでも、自分の身を自分で守るために、定年まで働ける仕事に就くことだけが目標になった。退職と入れ替わりに、コロナ禍はやって来た。
年齢や経験不足を理由に、雇用を断られたのは若い頃のことだった。それでも縁が繋がった場所で、先輩たちの無理難題に揉まれながら経験だけは積んだつもりだった。
しかし今も、年齢や経験してきた仕事の雇用形態を理由に、雇用は断られ続ける。若くても年を経ても駄目。だったら我々の世代は一生、働くという国民の義務に於いて報われることは無いのではないかと思う。
「自己責任」だとか、「自分で選んできた道」だとか、そんなことは散々言われて来た。地位も名誉もある著名な年長者が、世の中でリスペクトされている生き字引のような人たちが、堂々と口にしたり記事にした言葉でもある。当事者の一人として、それにどれほど傷付いて来たかわからない。いまもずっと傷付いている。心からはもう、流す血すら出ないほどに…。しかしその日の記事にははっきりと書かれてあった。
「個人の問題ではなく、社会がそうした」のだと。
私は今も、仕事が決まらない。そして来月、また一歳年を取る。