ある日の出来事 ②
私は、両親の不仲をまともに見て育った長子として、子ども時代を複雑な心境で過ごした。幼すぎれば見過ごしていたであろうことも、僅かな年の差によって、ほんの少し分別がつくというだけで、見なくて良いものも見えてしまうことがあったのだ。
弟は感受性の豊かな子であったため、色々と気に掛けられながら育った。一方、自他ともに認めるぱっぱらぱーであった妹に対しては、ある種、放任的であったともいえる。かといって長子が構われて育ったかと言えば決してそうではない。
結局、二時間近く喋り、笑って電話を切ったが、長引いた電話のお蔭で、布団に入った時には午前三時を回っていた。
このところ、半月板を損傷して久しい左膝の調子が悪い。水がたまっているのか、一回り腫れて動きが悪く、日に日に痛みが酷くなる。更に、腸の痙攣が続いて、鈍い痛みの波が常時押し寄せる。
昼まで寝ていた報いか、昼間に飲んだコーヒーのせいか、はたまたツリーを出す体力を維持する為に暴食した、抹茶チョコの仕業か…。結局、目を瞑っていただけで一睡も出来なかった。
翌朝、母に妹の発言を伝えると、母は大笑いした。
「あいつが一番世話かかってるのに、何言うてんねん!」
確かにその通りなのだ。放任的とはいえ、ぱっぱらぱーには手が掛かる。比較的大人しく育った長女長男と同じようには育たなかった、言わば我が家の異端児。無自覚が一番恐ろしい。
この日、寝ずに朝を迎えた私には、おかしなことが連発した。
扁桃腺が腫れて痛んだので、悪化を食い止めようと、蜂蜜スダチ生姜ドリンクを作る。蜂蜜が固まっていたので軽くレンジでチンしたら、全部溶けた。ペットボトルに入れようとしたら、ドバっと入る。まぁ良いか…と、チューブのおろし生姜を足す。すだちを絞っている時間がなかったので、パックのレモン果汁で代替え。明らかに蜂蜜率が高いが、新品のかぼす果汁の瓶を開栓するのは躊躇した。だって、生のすだちがたーんとあるのに、両方の腐敗を促してどうする。そのまま持って行ったら、案の定、激甘だった。
気付けば、ねじってピンで留めるだけの髪に、時間を掛けてアイロンを当てていた。何の意味もない、人生の無駄遣いだ。
時間に追われ、食べる暇がなかったバナナを持ち出そうとした途端、犬が飛んできた。いつもおこぼれをもらうのに、「なんで持っていくんや―」と思ったらしい。
バイクをぶっ飛ばし、ぎりぎりセーフで電車に飛び込む。いつもと違う車両だが仕方ない。息も絶え絶えに、ふと目をやると、壁面広告が逆さまだ。不眠でおかしくなっているので、何かの見間違いかと二度見三度見する。しかしばっちり逆さま。こんなことってある?突拍子もない広告で、人々の注目を集める狙いかと見まがうが、広告自体は至って大真面目。銀行だか保険会社だかの金利を示している。きれいに逆さまに貼られた壁面広告。設置したとき、確認しなかったのだろうか…。
非凡に満ちた午前を過ごした私は、腸痙攣から酷くお腹を下し、膀胱炎を併発して、午後を激痛にのたうち回った。
こんな日に限って、〝今日の運勢〟が百点満点のご機嫌っぷりを指し示しているのだから、我が人生を脅威してしまうのも無理ない。