乃木坂46の秋元真夏さんがエイプリルフールの「挙式」投稿で炎上したことについて、彼女が謝罪や反省や勉強をしなければならない理由はどこにもないですよというお話
私は乃木坂46のファンです。
特に秋元真夏さんと生田絵梨花さんのファンです。
なので今回noteを書くにあたって冷静であることはないと思いますので、そのあたりのバイアスは考慮の上で読んでください。
なお、乃木坂46のファンのみなさんには、今回のように秋元さんや生田さんに全く非がなく、火のない所でも燃やそうと思えば燃やせるということ、しかしLGBTQの方々も過激な、声の大きな人々ばかりではないということをご理解いただければと思います。
〈おおまかな経緯〉
発端は秋元さんがエイプリルフールに生田さんと2人の白いドレスの写真を上げて
「式を挙げました」
という投稿をしたことから始まっています。
この2人がプライベートにおいても相当に仲がいいことはファンの間では周知であり、それをふまえたうえでのほほえましいジョーク、になるはずでした。
ところがLGBTQの方から
「これはクィアベイティングである」
との指摘を受け、ネットニュース等に取り上げられたことで非難の声が聞こえてくるようになりました。
私としてはクィアベイティング他、批判側の言うことには一通り目を通しましたが、過剰反応、不当な言いがかりとしか思えませんでした。
Twitter上での反論も試みましたが、反論の言葉をきちんとまとまった形で残したかったので、初めてですがnoteを書きました。
ファンにしか通じない言葉では彼女らの名誉は回復されないですし、感情的な言葉を使って乃木坂のファンはあんなのか、と言われないようには心がけたつもりです。
幸い炎上とはいえ一部の過敏な人たちが騒いだだけの小火ということに終わりそうですが、他のファンの方々が後々この問題を理解する一助になれば幸いです。
2人が実はクィアである可能性については考えなかったわけではないのですが、正直デリケートな問題で私の手には余りましたので書けていません。興味のある方は参考記事「ハリー・スタイルズへのクィアベイティング批判をやめるべき理由」「秋元真夏さんの炎上を見た、いち当事者の気持ち」
を見ていただければいくらかの参考にはなるかと思います。
なお、小火に終わりそうと書きましたが、だからといってこういうことがあったということを忘れることはないでしょう。
推しを泣かされたファンが、
笑って済ませられる訳はないということは、
LGBTQの方々も、覚えておいていただければと思います。
〈結論簡易版〉
とりあえず簡単に私の結論が知りたい方はここだけ読んでいただければ十分です。
クィアベイティング擁護、その他論争批判がやりたい人は全部読んだ上で意見をいただければと思います。
秋元さんが差別的意図をもって投稿したわけではないことは、生田さんとの関係性を知らなくても十分にわかるはずです。
写真からどんなメッセージを読み取るかは各自の自由です。そしてそこから自身にないもの、手に入らないもの、ままならないものを見て傷つくことは人間としておかしなことではないですが、その連想ゲームの結果傷つくのはあなた自身の問題なので、そのことの「配慮」を秋元さん(に限らず他人)にぶつけられてもそれは筋違いというほかありません。
それはあなたの問題であって、秋元さんがそのことの責任を問われたり非難を受けたり、「勉強しろ」とか言われなければならない理由はどこにもありません。
以上です。
〈ファンとしての視点〉
この炎上騒動を見た1ファンとしての視点です。
仲のいい二人が仲がよすぎてついにこういうことになりました、というエイプリルフールのネタでしかないと思います。
秋元さんも生田さんも1期生として乃木坂46を支えてきた人気メンバーであり、TVラジオミュージカル等の露出も特に多いこの2人がいまさら注目を集めるためにクィアをネタとして利用する意味は特にありません。
仲のいいふたりの写真がそのような意味にもとれる、という程度のことだと思います。
〈LGBTQの方々による批判的意見〉
今回の騒動における代表的な批判をまとめました。
1.クィアベイティングである
クィアベイティングとはLGBTQ運動にまつわる用語ですが、用法が2種類あるようなので分けて説明します。
Qb1 映画等でLGBTQ的な関係性の映画だと思わせておいて実際はそうではなかった等、表紙詐欺や予告編詐欺のようなもの。
Qb2 実際にはクィアではない人がレズビアンやバイセクシュアルなど、あたかもセクシュアルマイノリティであるかのように装う、匂わすことで、世間の注目を集める手法のこと。
2.ネタとして消費しないでほしい
現状、当事者がどんなに望んでも悲しんでも実現していない同性婚を、「"(実現していないからこそ)一目見て分かるウソ"として痛くも痒くもない安全圏からネタとして消費しないでほしい
以上2点の主張が大きな批判点であるようです。
〈以上を受けての私の反論〉
1.クィアベイティングである
Qb1について
今回は関係ないと言いきってよろしいでしょう。
ついでなのでこの事についても書きますと、表紙詐欺、予告編詐欺、あるいは竜頭蛇尾、等の言葉が昔からあるように、こういうことはマイノリティの話題に限らず嫌われます。「思てたんと違う!」ってやつですね。私もイラッときます。
ただ、仲のいい2人の関係を明確に決めてしまうのがいいこととは限らない、あるいは明確な関係性に着地する事こそが正しいとされるべきなのか、という点は指摘したいと思います。特にセクシャルマイノリティのことにおいて。
あやふやな関係としか言い表せないもの、あやふやな仲でしか生まれない感情、というのもあると思うので、親密な関係の2人にラストまでに明確な関係が成立しなかったからと言って非難されるべき作品であるかというと微妙なように思うのです。
あるいは、うる星やつらで主役の2人を結婚させるべきであったか、555のラストを確定させるべきであったか、みたいな問題でもあるでしょうか。
まあこれは今回の件には関係のないことだと思いますが。
Qb2について。
解釈の分かれる点だとは思うのですが、私はこちらも今回の件にはあたらないと思っています。
少なくとも「あたかもセクシュアルマイノリティであるかのように匂わすことで、世間の注目を集める手法のこと。」という定義には当てはまらないでしょう。
仲の良さをアピールした結果としてそのように見えるような表現になった、ということでしかないので、手段としてLGBTQを利用したとまでは言えないように思います。
ただ、この件に限りませんが、そもそも「注目を集めるという目的のための手段」として「あたかもセクシュアルマイノリティであるかのように装う、匂わすこと」は悪いことなのでしょうか?
アイドルや芸能人においては自身のキャラクターづけとして様々な属性を装ったり演じること自体は普通に行われていますが、その"キャラ"は明確に「注目を集めるという目的のための手段」と言いうるほどに本人から乖離したものばかりでしょうか?むしろ自身の中にある側面を抽出したものであることも多いでしょう。それを誇張して表現することは非難されるべきことでしょうか?私にはそうは思えないのですが。
そういうことを考慮しても、あからさまに差別的な表現は別として、そこからセクシャルマイノリティだけをタブー視する理由はないのではないでしょうか。
このQb2のクィアベイティングの用法は実際に、CMの役としてクィアを演じた役者さんが実際にはクィアではなかった、として非難されるような使い方をされています。LGBTQ当事者でなければLGBTQの役を演じることすら許されないというのは単なるタブー視で、それも一種の差別ではないでしょうか。
悪質な表現である、差別的であるというならば、そう言えばいいのであって、「装い」や「匂わせ」や「演じる」ことそのものを非難される理由は不快感以上のものではないように見受けられます。
2.ネタとして消費しないでほしい
LGBTQの方々がマイノリティとして過去の経緯や現状への不満もあり、自身の属性をネタにされるのに抵抗があるのはわかりますが、要求できるのは差別的表現をしないでほしい、平等に扱ってくれ、という所まででしょう。
実際問題としても、あらゆる属性のセンシティブなポイントに配慮するという事はあらゆる表現ができなくなりますから、差別ではないというくらいの所で線を引くしかないでしょう。
そしてLGBTQに限らずあらゆるものがネタとして消費されるのが現代社会、自由主義社会です。
少数派であるというそれだけを理由に自分たちを異端視するなと主張するということは、当然に他の属性と同じようにネタにされ消費されるということです。平等であるべきと言うならば、差別的等のなんらかの権利侵害にあたらないことについて、他と異なって特別に配慮されるべきとも言えないでしょう。
また、今回「傷ついた」ということを理由に秋元さんを非難する声も多く見ましたが、そのような傷つきやすい人に配慮するというのは非常に難しいように思います。
今回の2人の写真にしても、この写真に傷つく人がいるとは事前には誰も想像しなかったでしょう。
もちろん写真からどんなメッセージを読み取るのかは各々の自由ですが、その連想ゲームの結果傷つくというのは君たち自身の問題なので、それを秋元さんにぶつけられてもそれは筋が違うと言うほかないです。
その傷つきはあなたが傷ついたのであって秋元さんが傷つけたわけではないでしょう。
ウェディング写真を見て傷ついてしまう君たちは不幸かもしれないですがその不幸は真夏さんのせいではありません。
そういうのは自分でなんとかしてください。
そういう「傷つき」を理由に無限の配慮を要求されうるのなら、秋元さんや生田さんは、
結婚できないLGBTQの方々に、
アイドルになれなかった無数の少年少女に、
乃木坂になれなかった20万人以上の女の子に
体を壊してアイドルを続けられなかったあの子に、
配慮して活動を自粛でもすれば君たちは満足ですか?
それは君たちの心の問題なので、自分で悟りを開くとか法改正を目指すとかをしてください。反撃してこないアイドルをいくら叩いてもなにも解決はしませんし、反感をかって無駄に敵を増やすだけだとですよ。
そして、自らの傷つきを理由に彼女に加害者や差別者のレッテルを貼ろうとする人々は、そう言う君たちこそが加害者ではないかという視点を少しでも想像しましたか?
少なくとも差別や加害という言葉は軽々に振り回すものではないということはわかっていただきたいところです。
自分の根本的な問題や敵と向き合わずに目に見える気に入らないものを殴り続けても何も変わらないのではないでしょうか。
〈LGBTQについて秋元真夏さんは「勉強が足りない」のか〉
今回勉強が足りないとか、これを機会に勉強しろというふうに仰ってる方も散見しましたが、それはメジャーマイノリティの傲慢ではないでしょうか。
上でも書きましたが、あらゆる属性のセンシティブなポイントに配慮する事は不可能です。一般常識のレベルで差別でない、侮辱的でない、くらいが可能なラインでしょう。
それを越えて私たちについて知っているべき、学ぶべき、というのは只の思い上がりではないでしょうか。
秋元さんが意味もわからずイスラエル大使館前で黒い制服にまんじっぽい腕章とちょび髭をつけて腕を大きく上げる挨拶とかしてたらそこは勉強不足かもしれないですけど、具体的な権利侵害につながってるわけでもないのに勉強しろと言われても、一般常識以上のことを「学べ」と言われる筋合いは誰にもないですね。
〈おまけ〉マイノリティのマジョリティーはマイノリティののマイノリティには無神経ですよね、というお話。
これは前々から言われてることで特に私の独創ではないのですが、君たちマイノリティ内のマイノリティには配慮しないですよね?
今回の件、君たちは傷つけられた、というふうに被害者として振る舞っていますけれど、
秋元さんが「結婚式」と書かずに「式」としか書かなかった理由が、ファンや他の何かへの配慮だけでなく、自身にすら未だ名付けられない「式」であるからだ、という可能性を考えましたか?
2人が同性愛者やクィアというほどの明確な関係でないにしても、親密な、未だ名前のないような関係であるとは考えませんでしたか?
あるいは秋元さんと生田さんの式の写真を見て喜んでいるLGBTQの方がいるかもしれないとは考えませんでしたか?
その式の写真を見て喜んでいたLGBTQの方々にとってはそれを燃やした君たちこそが加害者であるという自覚はありますか?
その二人の写真が炎上するのを見て、明確でない関係の者は公にドレスを着て明言しないままに式の写真を上げることすら、マイノリティからさえ拒絶されるのだ、と思ってしまうことは、考えませんでしたか?
世間的にはともかく君たちはセクシャルマイノリティの中では影響力の強い、いわばマジョリティでしょう、もう少し自身の加害性に自覚的であってよいのではないでしょうか。
でないと、いつか君たちも誰かから「踏んでる足をどけろ」って言われるハメになりますよ。
追記 2022.04.18
興味深いnoteを書かれた方がいらっしゃいましたので追記します。
秋元さん関連でQB批判をやりましたが、2人が当事者の可能性についての部分は知識不足で書けなかったので、当事者からQBを安易に振り回すのを批判する方向性の論が出るのはありがたいし興味深いですね。
特に志向のグラデーションというのは私には考えられていない部分でした。
クィアという概念が曖昧さを主張するものなのに、クィアベイティングというものを安易に持ち出すと"正しいクィア"というものが存在することになってよくないのではないかなという懸念はやはり当事者もお持ちのようです。メディアはQBに肯定的に見えますが大丈夫でしょうか。
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