空、雀、鳩、猫(ウラジオ日記16)
また走っている。門限が近いからだ。楽しそうに飲み屋の前で煙草を吸っている若者を見過ごして、ホステルに戻る。なんだか口惜しい。23時を少し回ったが、鍵が閉まってる風でもなく、部屋へと自然と帰る。廊下も部屋も電気が消されていて、薄暗い。セーフティーボックスにしろ、玄関にしろ、このホステルには鍵という概念がないのだろうか。鍵を常になくしてないか気を張り、ポケットやバッグの中を定期的に確認するストレスがないと考えれば、それはいいことかもしれない。
朝目覚めると何だか寒い。知り合ったシリノのいたベッドの方を見ると知らない人が寝ている。シリノは知らない内に出ていったらしい。少し寂しい。窓を見ると白っぽい。何か違うなと外に出てみると曇っている。昨晩の寒気もこの雲のせいかもしれない。そう言えば成田空港を発ってから雲を見るのははじめてだった。ずっと晴れていたのだ。雲ひとつない空。
前の建物のでっぱりから、雀が落っこちるように飛んでいる。道路に降り立つと、また壁の小さな段を飛び移っていく。屋根の下辺りまでたどり着くと、また飛び立つ。今度はやっと電線に足をかけられる。なんだか不器用だ。子どもが空を飛ぶ練習をしているのだろうか。それとも雀というのは飛び方の下手な鳥だったか。
その横の公園には鳩がいて、おばさんがパンをばらまいている。日本でもよく見る光景だ。鳩は灰色ばかりではなく、黒いや白いのもよく見かける。港の方や噴水の方にも鳩をよく見かける。鳩に雀、西の方にもいるのだろうか。
鳩が苦手な友人を思い出す。鳩と言うか鳥全般が苦手なのだけれど、特に鳩が苦手らしい。わからなくはない。鳥はよくよく見ると気持ち悪いところがいっぱいある。道で拾った羽根を観察してみたら、根っこの軽くプラスチックみたいで、これが全身にびっしり生えているのかと思うと、すこし鳥肌が立った。それらを全部引き抜いて、曝した肌が鳥肌だ。
友人は漫画みたいに鳩を前にすると逃げ惑う。それから鳩を素手で捕まえられると豪語する友人のことも思い出す。一度もそれを見たことはない。
また町へと歩き出す。一度、少年とすれ違う。少年はにこにことして右手を上に上げる。ハイタッチを求めているようだ。手をパチンと合わせると、少年は笑って向こうに走っていく。
時折、猫を見かける。何故か知らないが子猫をよく見かける。日本では大人ばかりで子猫はあまり見かけないが、ウラジオストクでは子猫ばかり見かける。去勢の問題だろうか。子猫は当然、めちゃくちゃかわいい。カメラを向けると、壁際から少し首を傾けてこちらを見つめ返す。自分がかわいいということを知っているのだろう。
町の博物館にも猫がいる。博物館で猫を飼うのは、ねずみ対策らしいとどこかで聞いたことがある。その博物館はいわゆる郷土博物館のような場所で、古代の遺跡から発掘された土器や衣装の装飾がかわいい。かなり現代的なモチーフに感じる。僕が博物館を訪れたときには猫はいなかった。残念。
だんだんと晴れてくる。たぶん雨には降られない。そんな気がする。
そもそも出発日の辺りには台風がやってきていた。でもそれにぶつかることはなかった。もしかしたらずっと晴れていたのは台風一過なのかもしれない。それにしては木が倒れていたりしているのも見かけないが。
何日晴れていたのだろう。今日は何曜日だろう。
夜まだ町を歩いている。閉館した博物館の大きな窓。その真ん中に白黒の猫が座っている。博物館の猫だ。通りを眺めている。道行く人は気にするでもなく通り過ぎていく。猫はそれを眺めている。観察されているのは人、観察しているのは猫。なんだか珍しいような気がする。博物館を背景にしている所為かもしれないが、猫は物知りのおじいちゃんみたく見える。クマのプーさんで言うフクロウのオウル。そういうポジションで町の動物たちと交流しているのかもしれない。
だからハイタッチしたあの少年は僕の中でクリストファーロビンという名前になった。