歓迎(ウラジオ日記28)
ウラジオストク最後の食事は夜景の見えるレストランで食べた。テーブルの上にはバラが一輪。二名分皿が用意された、テーブルの上、一人赤ワインを飲む。料理はどれもきれいに盛り付けられ、繊細な味付けだ。夜景はきれいだけど、そこまで感動はしない。もう見慣れてしまったからだろうか。デパートの屋上で見た、夕景はとてもきれいだった。ウラジオストクの夕日は豊かなグラデーションで空を彩っていて、海が近い所為か生き生きとしている。どれも美味しかったが、サーモンがやっぱり美味しかった。
食事を終えて町を歩いていると、大きな音が鳴って振り向くと花火が上がっていた。そう言えば、今日は祭りだった。何発も何発もあがる花火がちょうど隙間から見える。花火が近い所為か、位置が低い所為か、銃弾戦の最中にいるみたいに激しい爆音が町に響き渡る。今日でウラジオストクは終わり。大団円。グランドフィナーレ。旅立ちを祝福されているようで、気分がいい。と言っても、明日の飛行機までは一日近くあった。ウラジオストク駅で時刻表を調べる。明日は近郊の町に出かけてみようと思ったのだ。本数は少ないらしく、早朝を逃すと次は昼間だ。
22時半。いつもより少し早く帰る。ホステルの前では管理人と共に男女がタバコを吸っている。どうやら酒が入っているようで、楽しそうだ。どこかで飲んできたのだろう。ホステルではお酒が禁止されている。ロシア語で話しかけられる。何を言っているのかは全然わからないけれど、楽しそうだ。こちらに親しみを込めているのがわかる。英語のわかる人がハリーポッターと伝えてくる。ハリーに似ていると言われているらしい。確かに丸眼鏡をかけていた。私はタバコを手に取ると、杖みたいにして振る。それから「ルーモス」と唱えて、タバコに火を点けた。伝わったかはわからない。
それからも色々話をされたが、ひとつもわからなかった。でも楽しそうだからいい。握手をして別れると、部屋のベッドに帰る。
言葉によって伝えようとするか、ニュアンスによって伝えようとするか。あるいは意味か、感覚か。ロシア人のコミュニケーションの取り方は後者に寄っている気がする。逆に日本人は前者に寄っている気がする。何かを違う言語の話者に伝えようとするとき、意味を翻訳して伝えるよりも、ニュアンスを重視したほうが伝わるときがある。例えば「What time is it now?」と聞くより、日本語で「今何時?」と手首を指した方が伝わるような気がする。ウラジオストクではさっきみたいに端からロシア語で伝えようとされることが多い。単純に英語を知らないというのもあるのかもしれないが、ニュアンスを信じすぎていて、大体意味がわからない。でもそういう伝え方があるのだと覚える。下手に英語でコミュニケーションをはかろうとするより、自国語でしゃべってしまうほうが伝わることもあるということ。新しい選択肢。
町を歩いていると、店の前にはよくホームページのアドレスや、Instagramのアカウント名が書かれている。店の名前はキリル文字で書かれたロシア語なのに、アドレス名やアカウント名はアルファベットで書かれた英語。意識したことはなかったが、インターネットのアドレスと言うのはアルファベットで形成されている。それはロシアでも日本でも中国でも。英語が世界の公用語として強い力を持っていることを、改めて再認識させられる。英語が通じなくても、英語を話さなくても、英語が無意識に使われている。世界に向けてお店の名前を出すとき、英語を使わなければ場所を得ることができないのだ。
管理人に明日何時に発つか聞かれる。遅めでもいいみたいで、時間によっては起こしてくれると言う。何時の電車に乗るかまだ決めていなかったから、少し迷って、それから四時過ぎくらいには出ると言うと、早すぎたのか「じゃあ勝手に出てっていいから、ドアだけちゃんと閉めてね」と言われる。まだ日の昇りきらない時間だ。仕様がない。
いつも門限ぎりぎりに走って帰ってきていたから、ホステルの人との交流がほとんどなかった。何でこんなに急がされなきゃいけないんだと思っていた。部屋にもロシア語で色々な注意書きがある。だから歓迎されていない感じがしていたけれど、結構いいやつらだったのかも、と最後思えた玄関先のタバコは収穫だ。レストランで一人の寂しさが一瞬芽生えた所為で、余計に会話がうれしかったのかもしれない。気持ちよく眠りに着く。