健屋花那さんのフィギュアが出るぞ!みんな予約はしたか!?
健屋花那さん7/1スケールフィギュア予約開始!
まず、私が多くを語る前に、こちらの動画をご覧頂きましょう。
【DMM Factory】1/7スケールフィギュア「健屋花那」(公開日:2024年7月26日)
そう、にじさんじに所属するバーチャルライバーである、健屋 花那(すこや かな)さんの1/7スケールフィギュアが発売されることになったのです。Woah!やばい!御神体って呼びますね!?(抑えきれない感情)
2024年7月26日、予約の受付が開始されました。受付期間は2024年8月28日まで。発売は2025年2月の予定です。
ご注文はこちらから。健屋さんのフィギュアをクルクル回して楽しむこともできます。なお、ご注文に際してクレジットカード決済を希望する場合は、Mastercardは使えないためご注意です!
魅力
冒頭にて紹介した動画でも言われているとおり、まずは何といっても、宇宙一の顔から髪や服の躍動感に至るまでを精巧に再現していることがわかります。もちろん私も実物はまだ見ていませんが、画面越しにもその精巧さ、質感が伝わってきます。
私が注目したいのは、お口の中です。しっかりと健屋さんのトレードマークである八重歯が覗いています。素晴らしいディテール。
先にお示しさせて頂いた注文ページに「髪の毛や脚線美をしっかりと再現する様にこだわりました!!」とあるとおり、宣材写真がそのままこの世界に出てきたかのようです。写真でそう見えるのですから、実際に我が家に届いてしまったとき、何が起こるんだ!?とドキドキしながらこの記事をかいているところです。
詳細
メーカーはDMM Factory。全高約230mm。7/1スケールです。つまり7つ集めて縦に並べれば、健屋さんの身長(163cm)に達し、さらに数量7つなので神龍が現れて願いを叶えてくれるわけですね。紐を引っ張るとブルブル震えるすとまっくんのぬいぐるみおくれーっ!!!!詳しくは、こちらのDMM Factoryのサイトでも紹介されています。
予約開始までの道のり
健屋さんのフィギュア化決定の発表と、原型の初公開が行われたのは2024年2月11日のことでした。この日に千葉県の幕張メッセにて開催された「ワンダーフェスティバル2024[冬]」に出展されています。
さらに、発表からおよそ1ヶ月後の2024年3月16日、グッドスマイルカンパニー パートナーメーカー展示会においても健屋さんが展示されました。これまでの健屋さんのコメントを見比べると、「出来が良いね!?……てかめっちゃ出来よくない!?」みたいに二度見している感じがあって良いですね。
そして2024年7月26日、ついにフィギュアの受注が開始されます。この記事の冒頭でご紹介した動画も、この時に公開されました。
そして2024年7月28日、ワンダーフェスティバル2024[夏]、フィギュアのデコマス、すなわちデコレーションマスター(彩色見本)が初めて展示されました。
ファンによる健屋さんの立体物も!
さて、原型から彩色まで自らの手によって健屋さんを制作してきたファンの方もいらっしゃいます。健屋さんの1/7スケールフィギュアが展示されたワンダーフェスティバル2024[夏]にて、ファンの手によるゴシックロリィタ衣装の健屋さんが展示されました。
この衣装は頭の飾り、黒い傘、フリル、十字架モチーフの各種飾り、模様などなど、様々な要素が詰め込まれた衣装。この衣装を再現するのは極めて困難といえるでしょう。まして靡く髪を、それも健屋さんの何色とも表現しがたい髪を表現するならばなおさらです。だからこそ健屋さんのゴシックロリィタは美の最高峰のひとつであり、神聖で、歴史に残るべき衣装であると私は思っているのですが、こちらの衣装を見事に再現したのがしゅるふとさんです。
細かいパーツや透けている部分、複雑な色合いまで見事に再現されており、作成者のこだわりと情熱を感じる作品です。神々しい。
また、ファンアートをもとに、しゅるふとさんによって制作された健屋さんがもう一つ展示されました。
こちらは原型で、バニースーツの持つ艶やかな質感と、健屋さんの女体美が表現されています。頬ずりしたいくらいに美しいです。
健屋さん自身がフィギュアになることだ!?
今回、健屋さん初のフィギュアということで話題になりましたが、実は、健屋さんは自らフィギュアになっているのです……ただし画面上で。その証拠となる配信がこちら。
【星のカービィ ディスカバリー】# 1
ああああああああああああああああああああああ【健屋花那/にじさんじ】(配信日:2022年4月9日)
この配信で健屋さんがプレイした『星のカービィディスカバリー』では、カービィのフィギュアを楽しめるシーンがあるのですが、そこで健屋さんは自分の身体を縮め、フィギュアになってみせました。
ちなみに、この配信の健屋さんは山野弘樹(2024年)『VTuberの哲学』(春秋社)で「VTuberが『ビデオゲームの世界』の中にいるかのように想像するメイクビリーブ(山野(2024)p.200)」の実践例として取り上げられています。メイクビリーブ(make-believe)というのは「ごっこ遊び」と訳されます。同配信で健屋さんは自分の手を、ゲームの中に登場するカービィの手と画面上で重ね合わせ、2人が手を繋いでいるかのように見せる演出を行いました。
そして健屋さんがフィギュアとしてカービィと並ぶというのも、この実践例の一環といえるでしょう。このあたりについては、健屋さんの「演じる」「表現する」ということについても大きく関わってくると思います。今回の話題は「フィギュア」なので深く掘り下げることはありませんが、また機会があればじっくり触れたいですね。
おわりに:歴史的観点から
この一文は、私の推しである菅原孝標女が『源氏物語』を読みたいあまりに等身大の薬師仏を彫って願った内容です。学校で習った覚えのある人も多いのではないでしょうか。ちなみにその念願が叶って『源氏物語』が読めるようになった際の記述が私は大好きなんです。
「后の位も問題にならない」と言ってのけるほどの「オタク」としての熱情が、この記述に表れていて好きなんです。
話を元に戻しますが、このように、日本人には古来から立体物を作り、崇拝してきた歴史があります。お地蔵様もそうですね。
ヨーロッパだとどうかというと、鴻上 尚史氏はイタリア人が人型ロボットについて次のように言ったと報告しています。
とりわけ偶像崇拝が禁じられた文化圏では、人型の人工物に対して抵抗のある人も少なくない、ということもあったようです。ドイツ映画「メトロポリス」ではロボット「マリア」が人間達を扇動し、混乱をもたらします。伝承のゴーレムも、カレル・チャペックの戯曲「R.U.R.」も、制作した人間に牙をむく結果となりました。
日本で描かれる人型ロボットは、鉄腕アトムのように、人間に味方してくれるものが目立ち、この点と比べると、日本人は比較的「人型のもの」に対して深い親しみを持っている……ということがいえるかもしれません(とはいえ、ドイツでは19世紀に西洋式からくり人形である自動人形(オートマタ)が親しまれるなど、一概に言えない部分は大きいのもまたそうであるのですが)。
1950年「原子力潜水艦ノーチラス号」から始まった日本プラモデル史ですが、1960年には「魔法使いサリー」のキットなども発売されます。1980年代になるとロボット等とは別にアニメの登場キャラクターを模したプラスチック製の商品が続々と登場します。
いっぽう、1982年に海洋堂よりゼットンやケロニアなどの怪獣が、レジンキャストを商品化したものとして登場して以降、ガレージキットを作品を作るということが行われるようになります。
80年代のアニメキャラクターのフィギュアがこぞって制作され、1990年代には『ストリートファイターII』『サムライスピリッツ』などゲームのキャラクターもフィギュア化されていく動きがありましたが、社会現象となりアニメ史に大きな足跡を残した『美少女戦士セーラームーン』『新世紀エヴァンゲリオン』は、それぞれ日本の美少女フィギュア界を大きく飛躍させます。
『Fate』シリーズや『涼宮ハルヒ』シリーズが産声を上げた2000年代になると、美少女フィギュアはキャラクターグッズの一大ジャンルとして確立されたといってよいでしょう。健屋さんの立体物の材質でもあるPVCの塗装済みフィギュアは、この時期にはもう主流となっています。
そしてそして、このフィギュア史の一ページに、今回、健屋さんもその名を残すこととなりました。その瞬間に立ち会えることが、いちファンとして光栄に思います。フィギュアは「見栄えの良さ」「可愛さ」など見た目上の要素のみならず、そのキャラクターが紡いできた物語を、歴史を想起させるものでもあると思っています。私は既にフィギュアを2つ予約したところですが、届いたら360°余すところなく、アホ毛の先からサンダルの踵まで、口の中の八重歯の先まで心ゆくまで楽しみたいですし、それと同時に健屋さんが約5年間の間に紡いできた歴史を感じたいな……と思っています。
参考・引用文献
菅原孝標女 著、原岡 文子 訳注(2003年)『更級日記 現代語訳付き』(KADOKAWA)
鴻上 尚史(2015年)『クール・ジャパン!?――外国人が見たニッポン』(講談社)
島谷 光弘(2021年)『フィギュアJAPANマニアックス 美少女フィキュア35年史』(ホビージャパン)
中川 浩一、山田 剣士郎「美少女フィギュア・美少女ドールの差異と進路」[倉敷芸術科学大学編(2017年)『倉敷芸術科学大学紀要』22号, pp. 23-30所収]
山野 弘樹(2024年)『VTuberの哲学』(春秋社)