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健屋花那さんの配信から「ラプンツェル」を考える ~本当に面白いグリム童話~


はじめに

 ついに、東京ディズニーシー(千葉県浦安市)にて新たなエリア「ファンタジースプリングス」が2024年6月6日にグランドオープンしました。社会現象にもなったディズニー映画『アナと雪の女王』で描かれたアレンデール王国の世界、ピーター・パンの壮大な冒険譚の舞台となったネバーランドなど、まさにファンタジックな世界が広がっています。

 さて、このアカウントは、筆者の推しであり、にじさんじに所属するライバーさんである健屋 花那(すこや かな)さんの歌や配信など、そしてそれらに関連したあれこれについて紹介してきました。そして今回も配信およびその話題に関する事柄について取り上げていきます。

【雑談】ファンタジースプリングスに行ってきた【健屋花那/にじさんじ】(配信日:2024年7月8日)

 配信タイトルの通り、健屋さんもグランドオープンしたばかりのファンタジースプリングスへと足を運んだそうです。始発で行って閉園までいたという堪能ぶり。健屋さんがどんなアトラクションに乗ったか、どうだったかを無邪気に、楽しそうに話す姿を見て、筆者もピーター・パンのアトラクションで空飛びたい!と強く感じました。
 1:32:26あたりからは関西弁で配信してくれます(なお体験版)。推しの関西弁に癒されると思いきや、似而非関西弁をコメントしたらタイムアウトされる!?恐怖政治に戦くコメント欄は怒濤の「せやかて工藤」で埋め尽くされました。

グリム童話『ラプンツェル』

 さて、この配信で話題のひとつに挙がったのが、ファンタジースプリングス内のラプンツェルの森。このエリアのモチーフはもちろん『塔の上のラプンツェル』。ラプンツェルの物語はディズニー映画としてよく知られていますね。この配信内での健屋さんのマザー・ゴーテルの真似が好きです。髪の毛降ろして~♪
 さて、この映画の原作となっているのは、ドイツのグリム兄弟が収集した童話メルヒェン(Märchen)〉のひとつ『ラプンツェル』(Rapunzel)です。ディズニー映画と同様、『ラプンツェル』は髪の長い女の子ラプンツェルを主人公としています。ドイツの童話、といっても、実はフランスで描かれた物語『ペルシネット』をフリードリヒ・シュルツという人物がドイツ語に訳した小説が元になった童話だといいます。
 健屋さんの配信内で、あるコメントより「原作ではラプンツェルが妊娠したことがバレる」という旨のお話がありました。この話があった際に、健屋さんはすぐさま調べている様子でした(この「すぐに調べる」という姿勢、私も見習っていきたいところです)。ともあれ、これはどういうことなのか?そもそも、「ラプンツェル」って……何だ?ということを、この記事でも独自に関連文献をお示ししながら、確認していこうと思います。

前提①:本当は恐ろしい?グリム童話

 まず読者の皆さんに把握していただきたい点が2つあります。第1に、この「グリム童話」──刊行物としての正式なタイトルは『子どもと家庭のためのメルヒェン集』(Kinder- und Hausmärchen、『KHM』と略される)──に収録されている童話が、グリム兄弟による創作ではないということ。すなわちグリム童話は、民間の人々が口で伝えてきた口頭伝承を書き記したものなのです。「メルヘン」というとなんだか可愛くてふわっとしたイメージが湧くかもしれませんが、その元となる語は「昔話」を意味するドイツ語「メルヒェン(Märchen)」に他ならず、「メルヘン」という語に纏い付く「メルヘン」なイメージは、ディズニー映画などのような後世の作品によって着色されてきたすてきな世界観であると言えるでしょう。
 例えば、『灰かぶり』(Aschenputtel)、すなわち英語でいうところの『シンデレラ』では、意地悪な姉が灰かぶりの靴を履く際にサイズが合わず、自らの踵を切り落とすなど、猟奇的な描写があります(ほんとうはさらに靴に血がどうのという描写があるのですが、参考文献を読んでいたら、グロ体勢ゼロの筆者の手足の力が抜けてきたのでやめます)。『本当は恐ろしいグリム童話』と言われることもありますが、「子供向け昔話の裏にある闇!」といった文脈ではなく、「『実際の民間伝承』と『ユニバーサルなファンタジー』の間にあるミスマッチ」というのが実際のところでしょう。
 そうそう、ちなみに、たまに勘違いされることがあるので補足です。ディズニー映画として同様に人気の高い『リトル・マーメイド』の元になった童話は『人魚姫』、『アナと雪の女王』の元になった童話は『雪の女王』ですが、いずれもデンマークの作家アンデルセンの作品です。グリム童話ではありません

前提②:本当は忙しない?グリム童話

 第2に、このグリム童話は、7度にわたり更新されてきたということ。初版が発行されたのは1812年。その後、版が度々改められ、第7版(1857年)までが刊行されています。この7度の間に、とりわけ弟のヴィルヘルム・グリムによって、童話の多くの部分が改作改変されています。なぜ、ヴィルヘルムは改変を行なったのか?それは、この「童話〈メルヒェン〉」が、本来は子供向けではなかったものも数多くあったためです。
 また、口頭伝承から「読み物」としての童話になったということで、文章も「口で伝える」よりも「文字で伝える」ということを念頭に置いた要素が強くなっていきます。
 そして、この版次の更新にあたって『ラプンツェル』も内容に外科手術を施されたのです。

ラプンツェルの名前と変更内容

そもそも「ラプンツェル」ってどういう意味?

 さて、「ラプンツェル」という名前、他ではなかなか聞かない、馴染みのない名前だと思いませんか?
 そもそもこのラプンツェルという少女は、子どもが生まれないことに悩んでいた夫婦の間にようやく生まれた子どもなのです。ラプンツェルが生まれるまでの間、夫婦なりの紆余曲折があるのですが、その中で、こんな記述が登場します。

「ああ、うちの裏のあの庭のラプンツェルを食べられなければ、わたしはきっと死んでしまう」
亭主はおかみさんのことがとても大切だったので、(中略)大急ぎでラプンツェルをひとつかみ抜いて、おかみさんのところに持って帰りました。おかみさんは、すぐにそれをサラダにして、がつがつと食べてしまいました。

吉原高志、吉原素子訳(2015年)『初版グリム童話集1』白水社(kindle版、位置No. 739)

初読時、一瞬、私は世界残酷物語が始まったかと思いました。私にとって、「ラプンツェル」という単語が、あまりにもあのディズニープリンセスの姿と結びつきすぎていたからです。あの幼気な少女が畑に植わっていて、しまいにはガツガツと食べられてしまうのか……?という勘違いを私はしてしまったのです。そして、次の記述が極めつけでした。

けれども、おいしくておいしくてたまらなかったので、おかみさんは次の日には、前の日の三倍もラプンツェルを食べたくなりました。

吉原高志、吉原素子訳(2015年)『初版グリム童話集1』白水社(kindle版、位置No.739)、強調は筆者による。

ラプンツェルいっぱいいる~~~~~~~~~!?

しかもこのラプンツェルたちも大量に捕食されるの!?

しかし、冷静な読者の皆さんにはお分かりのことでしょう。ここでいう「ラプンツェル」というのは庭に生えているような食用の植物のことを指すのであって、別に少女の捕食シーンが繰り広げられているわけではないと。

この「ラプンツェル」が意味するところは、日本語では「ノヂシャ」と説明されます。「ノヂシャ」というのはヨーロッパ原産のスイカズラ科の植物。漢字で書くと「野萵苣」。コーンサラダラムレタスともいいますね。キク科の「チシャ」、すなわちレタスとは別の植物にあたります。チシャはアジア原産で、漢字で書くと「萵苣」。この言葉は古典落語の「夏の医者」でも登場しますね。夏の医者は腹に障る……
 このRapunzel、明治44年にあたる1911年に翻訳された『ラプンチェル』では「」と翻訳されています(川戸ほか(1999年)p.272)。これについては「『妊娠中に食べたくなる畑で採取される野菜』というイメージからの連想で『』と翻案された」と推測されています(川村(2024年)p. 4)。1938(昭和13)年の中島孤島訳では、「ラプンツェル」とそのまま記したうえで、「我邦の萵苣(チシャ)に当る」と補足説明がされています。厳密にはノヂシャとチシャは違うものではありますが、意図的であるなしに限らず、結果的に日本人にとって想像のしやすい植物として置き換わっている・あるいは説明されているものも目立つように感じました。

では、ドイツ語の辞書ではどう解説されているか?それを確かめるべく取材班はドイツ語の正しい綴り方、正書法を記載しているドイツ語辞典『Dudenドゥーデン)』に助けを求めました。日本語の辞書といえば『広辞苑』ですが、ドイツ語の辞書といえば『Duden』といってよいほどにメジャーな辞書です。このツールで調べると、Rapunzelの語源としては中世ラテン語rapunciumrapuntiumという語に遡り、これはBaldrianカノコソウの仲間の植物のようです。
肝心の「Rapunzel」そのものの意味として載っていた言葉は、Feldsalat(フェルトザラート)、すなわちノヂシャでした。念のためFeldsalatの意味も確認してみましょう。

(野生だったり庭で栽培されていたりする)ロゼット状に並んだ長い楕円形の葉っぱを持つ、サラダとして食べられる植物。ラプンツェル。

Feldsalat ▶ Rechtschreibung, Bedeutung, Definition, Herkunft | Duden
https://www.duden.de/rechtschreibung/Feldsalat
翻訳は反証納言による。

「Feldsalat」の意味が「ラプンツェル」だけだったらどうしよう、堂々巡りになってしまう。そう思っていましたが、詳細な解説がありました。良かったです。


内容の変更~ラプンツェルの妊娠について~

前置きが長くなりました。本題です。先に少し説明したとおり、グリム童話の初版と後の版での『ラプンツェル』は、内容が少し異なっており、塔の上にラプンツェルを幽閉した「魔法使い(Zauberin)」は、初版だと「妖精(Fee)」です。この魔法使い・妖精が、映画でいうマザー・ゴーテルに相当する人物ですね。初版の童話では、自分の庭のラプンツェルを食べられてしまった「妖精」が、この件と引き換えに、その妻から生まれた子どもを取り上げて塔に幽閉します。その子どもが「ラプンツェル」と名付けられたわけです。
そして、先ほど挙げた「ラプンツェルの妊娠」についての記述も、違っているのです。
ラプンツェルの前に現れた王子様。ラプンツェルは「妖精」の知らないところで彼といい感じになるわけですが、それが「妖精」にバレる時の台詞が、グリム童話の初版ではこのように表現されています。

わたしのお洋服きつくなっちゃって、わたしのからだに合わなくなっちゃったの。

吉原高志、吉原素子訳(2015年)『初版グリム童話集1』白水社(kindle版、位置No. 772)

「妖精」はこの台詞を聞いて怒りだします。自分の知らないところでラプンツェルが王子と会って仲良く暮らしていたことが分かると、「妖精」はラプンツェルの長い髪を切って塔から追放します。この場面の、「服がきつくなった」という記述が妊娠を暗示すると判断されたというわけですね。

第二版以降では「おばあさんを引き上げるのは王子さまよりずっと重い」と書き替えられている。妊娠を暗示する表現が、「子どもと家庭の昔話」にふさわしくないとして排除されたのであろう。

吉原高志、吉原素子訳(2015年)『初版グリム童話集1』白水社(kindle版、位置No. 786)

 第1版も第2版も、ラプンツェルが無邪気に言った一言で王子様の存在が陽性あるいは魔法使いにバレてしまってはいるのですが、第1版よりも第2版の方が言い方が直接的で、「うっかり口走ってしまったが強い台詞となってしまっています。
結局、王子と関係を持っていたラプンツェルは妖精の怒りを買い、塔から追い出されてしまいます。ラプンツェルは荒れ野で厳しい生活を余儀なくされるのですが、ここで男の子女の子双子を産みます。先に挙げた「わたしのお洋服きつくなっちゃって……」という台詞は遠回しな言い方でしたが、ついにここで子どもが登場しました。王子との間の子と理解してよいでしょう。
王子は妖精に「ラプンツェルはもういない」と言われたショックで塔から飛び降ります。この際に王子の両目がスポポンと抜け落ちます。しかし、その後王子はラプンツェルと再会し、ラプンツェルの涙が眼の中に入るとあら不思議!目が治ったという結末です。

 さて、ここまで『ラプンツェル』の原典について確認して参りました。これをもちまして、「健屋さんの配信に関連した物事に関する解説」という目的は達せられたため、この記事の役割は終了しました。

 ここから先は、「グリム兄弟についてもっと知りたい!」という方のため、そして私自身のエゴにより、さらなる解説を続けていきます。いよいよ元の配信ともディズニーとも関係なくなってくるところです。「もうお腹いっぱいだよ!」という方には、「お読みいただきありがとうございました」という気持ちを添えてこれにてお別れとなりますが、さらにさらに記事にご興味をお持ちいただける場合は、ぜひお付き合いいただければと思います。

小休止:グリム童話を題材にしたドイツの曲

『ラプンツェル』はディズニー映画の題材となりましたが、ドイツ語圏において、グリム童話が題材となっている楽曲を2つほど紹介します。

Alligatoah - Du bist schön 

私のnoteやTwitter(現X)では以前に紹介している方ですが、ドイツにAlligatoah(アリガトアー)というラッパーがいます。その楽曲のひとつDu bist schönはミュージックビデオにグリム童話がモチーフとみられる場面がいくつか登場します。『ラプンツェル』も登場します。ユニークで面白いミュージックビデオですが、サビの歌詞はなかなか皮肉が効いています。

きみは美しい。けれども何もできない。読むことも書くことも、他のことも。できることはなにもない。何もできないんだ。
春、薔薇は考える──苦しみたくない者は、美しくなければならない──と。

Alligatoah - Du bist schön の歌詞より。日本語訳は反証納言。

Schandmaul - Froschkönig 

ドイツやオーストリアには、「中世ロック」「中世メタル」というジャンルがあります。ギターなど現代のロックやメタルで使われる楽器といっしょに、ハーディ・ガーディバグパイプなどといった中世の楽器を使う音楽です。そうした音楽を扱うバンドのひとつに、オーストリアのSchandmaul(シャンドマオル)があります。その楽曲のひとつが、『カエルの王様』を題材にした『Froschkönig』(フロッシュケーニヒ。フロッシュがカエル。ケーニヒが王。)という楽曲があります。元の童話とは異なるオリジナルなストーリーが展開され、なかなか味のあるアニメーションミュージックビデオがあったのですが、2024年7月16日現在、残念ながらYouTubeにはイントロ部分だけのものしか上がっていませんでした……

グリム兄弟が生きた時代

 1789年に勃発したフランス革命(ここ近辺のことについては『ベルサイユのばら』を読もう!)。革命がますます過激になり、フランス王家が転覆。オーストリアの皇女マリー・アントワネットも囚われます。オーストリアとプロイセンはピルニッツ宣言でフランス王権の回復を求めましたが、これによってフランスの革命勢力を刺激し、フランスとの戦争(フランス革命戦争、1792年-1802年)が勃発することになります。この戦争でオーストリアはフランスに敗れます。さらにプロイセンもナポレオンに敗北。ドイツはナポレオン・ボナパルトの支配下に置かれることになります。これまでの間に1806年には「ドイツ国民の神聖ローマ帝国もひっそりと消滅します。当時「ドイツ人」として捉えられ、「ドイツ語」を話す人たちは確かに存在していましたが、それぞれが別々のLandラント)のもとで暮らしていました。名ばかりのものであったにせよ、それぞれのLandとその人々を結びつけていたのが、「神聖ローマ帝国」という存在でした。日本で喩えると、陸奥国大和国信濃国肥前国越後国などなど、それぞれが独立した領邦として存在していたけれど、それらを束ねる概念として「日本」があった……みたいな感じでしょうか。そのような、国民的なアイデンティティの基礎となる部分が消滅したわけです。このことに関しては、あるドイツ史の歴史書ではこのように記されています。(「負けた」と書くだけでこの厚み?とか言わないこと)

「ドイツ」は当面のところは地理的な概念に過ぎないものになったように思われた。とは言え、この旧帝国が政治的に終焉を迎えたことは、長い目で見れば極めて注目に値する作用を及ぼすことになった。すなわち、この結果、この帝国ライヒ)は現実の世界から夢と象徴の世界に映ることとなった。すなわち、この時から「ライヒ」の夢はドイツ人の歴史のなかで途方もないダイナミズムを発展させていく

トーマス・ニッパーダイ著、大内 宏一訳(2021年)『ドイツ史 1800-1866 市民世界と強力な国家 上』(白水社)p. 13(強調は筆者による)

 19世紀という時代は、このように地理的な概念としての「ドイツ」は存在しましたが、「ドイツ国民」による統一的な「ドイツ」は存在せずナポレオンの支配と圧迫の下にあり、政治的な苦境に追いやられていた時代でした。そんな中で、ドイツ国民の意識を呼び覚まそうという動きが強まります。ドイツ人の優秀さを説き、ドイツ人による国民国家の形成を訴えた哲学者ヨハン・ゴットリープ・フィヒテによる公演『ドイツ国民に告ぐ』は、そうした動きの象徴的なものであるといえるでしょう。そして、芸術や文学の世界から立ち上がったのが、アルニムブレンターノといった後期ロマン派の詩人達でした。

そういう政治的苦境のさなかに、彼らは直接現実問題にはかかわらなかったけれど、芸術的行為のうちに時代にたいする熱意を秘めて、ドイツの自然と歴史にたいする愛情を呼びさまし、国民的意識を高めた。

手塚 富雄、神品 芳夫(1993年)『増補 ドイツ文学案内』(岩波書店)p. 180

グリム兄弟が活躍した時代は、そうした激動と苦難のさなかにある時代でした。グリム兄弟と同じ時代を生きたドイツ・ロマン派の巨星といえば、音楽では「トロイメライ」を作曲したローベルト・シューマン、文学では「自動人形〈オートマタ〉」を作品に取り入れて小説『砂男』を書いたE・T・A ホフマンなど、数多くの人物が存在します。本当ならば詳しく触れていきたいところですが、そうすると、この記事での話題の範疇を超えてしまいます。健屋さんのこれまでのコンテンツにも少し関係してくる、あるいはこじつける余地のある要素もあるため、また機会があれば解説を書きたいものですね。ドイツ・ロマン派は筆者の大好きな分野なので……!

ドイツ国民のための『グリム童話』

 グリム兄弟の仕事は、ドイツの歴史・文学、そして言語を通じて国民意識を高めようという意識に基づいていました。
 童話の収集もその一環であり、ドイツ国民の間に受け継がれてきた口頭伝承によって、それを成そうというものでした。兄ヤーコプ・グリムは民間伝承こそが太古の昔から存在してきた「自然文学」であり、真正の文学なのだ!と考えていたようです(横道(2023)p.129)。
童話だけではなく、言語学においても、『ドイツ語事典』(Deutsches Wörterbuch)の編纂に取り組み、グリムの法則(第一次子音推移とも)を体系的にまとめる(→発見したわけではない)など大きな成果がありました。ちなみにグリムの法則というのは、インド・ヨーロッパ語族とゲルマン語族の間の子音変化についての法則ですが、まあ超絶ざっくりいうと、ヨーロッパの言語の子音に関する、言語学的に大きな変化です。が、くわしく解説するとさすがに脱線が甚だしくなるので割愛します……。

おまけ:日本との遭遇

 これは補足的なお話ですが、この19世紀という時代は、日本史でいうと江戸時代の後期にあたります。約200年続いてきた幕藩体制のもと、対外的には鎖国を貫いてきた日本ですが、海外船舶異国の人々との遭遇が増えてきた時期でした。1811年、千島列島(クリル列島)を調査中だったロシアの軍艦ディアナ号の艦長ヴァシリー・ミハイロヴィチ・ゴロヴニンが日本の松前奉行により拿捕され、函館に抑留された「ゴローニン事件」。

ゴロヴニンが描かれたロシアの切手。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6より。(2024年7月15日閲覧)

ゴロヴニンがこの時の経験を元に記した『日本幽囚記』を、ヴィルヘルム・グリムも読んでいました。彼は日本の社会に対して次のように述べています。

日本人は最高度の畏怖を享受し、すでに長きにわたって、特に私生活のあり方については目立った変更がない(これは言語に関してもそうだろう)。
(中略)
社会層は激しく隔てられているが、すべての人を愛情ある思いやりが結ぶ。私たちヨーロッパ人が憧れなければならない美点が、ここで光っている。

Wilhelm Grimm 1881: Kleinere Schriften. Bd. 1 Gustav Hinrichs (hg.). Berlin (Ferd. Dümmer). S. 564
(訳文は横道 誠(2023年)『グリム兄弟とその学問的後継者たち──神話に魂を奪われて──』(ミネルヴァ書房)p. 121より。)(中略および強調は本noteの作者による。)

すなわち、愛情や思いやりといった精神的な豊かさを日本人に見出す一方で、江戸幕府による専制的な政治形態身分制のもと「最高度の畏怖」を前提とする当時の日本社会には、批判的な評価を下していることがわかりますね。こうしたグリム×日本、みたいな交差に出会うと、「ここで繋がんねや」と学問の面白さを感じるところであります。


おわりに

ここまで見てきたように、『ラプンツェル』をはじめとした『グリム童話』が収集された背景には、ドイツにとっての苦難の歴史があり、「ドイツ国民としての意識の発揚」という政治性の強いベクトルがかかっていたといえます。そうしたナショナリスティックな意識を背景に収集された童話が、ドイツでもアメリカでも日本でも、大人から子どもまで政治的な影を全く感じさせることなく楽しく観ることができる優れたファンタジー映画へと昇華されていったわけです。そして日本で最も名前が知られているテーマパークのひとつに存在するエリアの題材として登場しています。地理的にも時間的にも長い永い旅を経て自分たちの集めた物語が語り継がれ、そしてかなり大きく翻案され、生まれ変わっていっている。グリム兄弟としては、どう感じるところでしょうか……といったところにお話を落ち着かせたところで、結びといたします。ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

参考文献

川戸 道昭、榊原 貴教 編(1999年)『明治期グリム童話翻訳集成 第1巻』(紀伊國屋書店)
川村 和宏「グリム童話の日本における再話と土着化について ──『ヘンゼルとグレーテル』と『魔の家と子供』の場合─は。」[川村 和宏 編(2024年)『異文化接触毛逝き沼の諸相』(郁文堂)pp.1-18所収]
手塚 富雄、神品 芳夫(1993年)『増補 ドイツ文学案内』(岩波書店)
トーマス・ニッパーダイ著、大内 宏一訳(2021年)『ドイツ史 1800-1866 市民世界と強力な国家 上』(白水社)
間宮 史子(2021年)「「灰かぶり」のテクスト変遷:『グリム童話集』『グリム童話選集』のテクスト分析」[白百合女子大学児童文化研究センター編『白百合女子大学児童文化研究センター研究論文集』6巻、 pp. 29-43所収]
横道 誠(2023年)『グリム兄弟とその学問的後継者たち──神話に魂を奪われて──』(ミネルヴァ書房)
吉原高志、吉原素子訳(2015年)『初版グリム童話集1』白水社(kindle版)

Brüder Grimm 1980c: Kinder- und Hausmärchen. Band 1. Reclam. Stuttgart

Wilhelm Grimm 1881: Kleinere Schriften. Bd. 1 Gustav Hinrichs (hg.). Berlin (Ferd. Dümmer)
Grimm Kinder und Hausmaerchen 1-1812
https://archive.org/details/GrimmKinderUndHausmaerchen1-1812/page/n73/mode/1up (2024年7月10日閲覧)

Rapunzel ▶ Rechtschreibung, Bedeutung, Definition, Herkunft | Duden
https://www.duden.de/rechtschreibung/Rapunzel (2024年7月10日閲覧)

Feldsalat ▶ Rechtschreibung, Bedeutung, Definition, Herkunft | Duden
https://www.duden.de/rechtschreibung/Feldsalat (2024年7月10日閲覧)

グリム 中島孤島訳 ラプンツェルhttps://www.aozora.gr.jp/cards/001091/files/42309_18060.html(2024年7月11日閲覧)

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