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宇治市歴史資料館にて
こんにちは。
先日、歩いて図書館へと行きました。
宇治の図書館のある場所の一階には
「宇治市歴史資料館」さんがあり、
そこにて「宇治茶の歴史」企画展が開催されていて、
とても興味深かったので、そのお話をします。
5月はお茶摘みの季節ですし、
5月6日は宇治地元のお祭り
「県祭り(あがたまつり)」が開催されるので、
これに絡ませて記事にしたい!と思い、
学芸員の方にお願いをして、
画像をお借りしました。
いやぁ、汗をかいて歩いてみるものですね。
(ふだんは車で行くので、2階部分から入り
なかなか資料館まで足を運ばなかったりする・・)
〈小声で告白〉笑
・・『県神社は、永承7年(1052)関白藤原頼通が
平等院を建立するにあたり、
平等院の鎮守の社としました。
祀られている木花開耶姫命
(このはなさくやひめのみこと)は、
良縁・安産の神として信仰されていることから、
縁結びの神社としても信仰されています。』
県祭りは戦前まで、
宇治のお茶摘みがひと段落した折に
茶摘みのため働きに来ていた男女が
県神社から出される梵天(ぼんてん)が出る
夜中まで雑魚寝をして待つ間、夜這いをかけあう
「種貰い祭り」と言う風習があり、
ま~、楽しく過ごした祭りだったそうです。
大人のお祭り!!(笑)
今はそんな風習は無くなり、
500軒以上の屋台が出る賑やかな祭りとなり、
夜中に梵天が出る「奇祭」として
知られるようになりました。
あれ?何が書きたかったんでした?
お茶!お茶の歴史!!
宇治茶の歴史です。
歴史資料館で見た、茶摘みの風景です。
![](https://assets.st-note.com/img/1686040259273-xMuSYjwI6o.jpg?width=1200)
宇治市歴史資料館提供
御茶摘み娘は、絣(かすり)の着物を着、
ほおっかむりが定番の格好。
赤いたすきをしてね。
(♪夏も近づく八十八夜~(中略
赤(ね)だすきに菅の傘~♪ってね)
宇治での娘さん達は、手ぬぐいを被っている
写真の方が多い気がします)
お茶の木は、水はけのよい土地を好むそうで、
宇治川畔の砂地が適していたそう。
写真をよく見ると後ろに川らしきものが。
上に書けてあるムシロ(ござ?)は、
新芽が育ちすぎるのを防ぐために掛けられているのと、
そこに雨が降り、地面に伝うと、
お茶が甘くなるそうです。
茶農家の友人が言うていたので、多分本当。
![](https://assets.st-note.com/img/1686040650891-eh0wYErv8j.jpg?width=1200)
宇治市歴史資料館提供
若い衆が、茶箱にお茶を詰め
藁でくるんで全国に発送する風景。
茶箱の内側は、アルミ?金属板が張り巡らせてあり
湿気や虫が寄りつかないようになっておりました。
(朝日焼にも箱があります)
これらを新芽の出る間、
毎日お茶を摘み、製茶し、
全国津々浦々へと発送されておりました。
その昔は、お茶壺道中を通って
将軍様に「宇治茶」を献上していたとか
写真にもツボが写っていますね。
(ブラタモリでチラリとお茶壺道中の紹介が
あったと記憶しております(三重県を通っていた)
『八十八夜とは、立春から数えて
(立春を1日目として)88日目のことです。
八十八夜に積んだお茶を飲むことは、
不老不死の縁起物といわれ、
八十八夜の文字に末広がりの「八」が
重なっていることを考えると、
いっそう縁起がよさそうです。
そして、八十八夜はお米にも関係しています。
「八十八」という字を組み合わせると、
「米」という字になります。
八十八夜に稲の種まきをすると、
秋にお米がたくさんとれると、
昔はいわれていました。』
八十八夜は茶摘みだけでなく、
稲の種まきに適した時期でもあった・・
そして、県祭りで種を貰って~!(笑)
これから地元に帰り、稲作へと戻る前の
ひと時の休息だったのかもしれませんね。
あれ?資料をお借りしたのに
何だか話がずれちゃっているような・・
ま、お祭りのその背景と
御茶摘みの様子がお伝えできたからいいか。
それではまた明日。
Please stay healthy and stay safe.