喜ビニ浸ル者
「ポウくんてさ、グールドに似てるよね」
隣人は言った。
神さまが見えないのこの地獄で、ぼくは暇だ。
そんな暇な凡人は老化ゆえの脳劣化も伴い昔のことを思い出すようになる。
昔、ぼくはグールドを崇拝していた。
グレン・グールドを知ってるかい?
ぼくは知ってる、ぼくの神さまだ。
彼は1932年生まれのカナダの変人ピアニストだ。
ボサついた髪、指先のない手袋、左右違う靴下、恐ろしく低い演奏用の椅子、演奏中の鼻歌やら数々の奇行で知られるこのボロ臭い天才を「天使のように美しい」とバーンスタイン(ダンディなアメリカ人指揮者)は言ったとか。
天才の宿命なのか、天使のような奇人はピタリ50歳で爺さんのように老けこんで死んでしまった。
最近周りで何故かビートルズの話題に花が咲いているみたいだ。
ぼくは「ニュース」というウサン臭い情報と縁を切っているため何が起きているのかはわからない。
「ビートルズ、ほんといいよね」
皆、口を揃えてそう曰う。
「口を揃えて」、そう、ビートルズに意義を唱えるものはいない。
他のバンド野郎に関しては賛否両論あれど、ことにビートルズに関しては有無を言わせぬ圧力をビシビシと感じるのはぼくだけなのかい?
ここだけの話、ぼくはビートルズに「ウサン(宗教)臭さ」を感じてる。
ゆえに、この話題においては長年沈黙を守ってきたもんだ。
みんなの言うように「いい曲」なのはわかるのだ、うまいな、とか、洒落てるな、とか、けれど、ぼくの心が震えたことはない。
言わずもがな、ぼくは、ダサ者だ。
そんなぼくにも好きなミュージシャンがいる。
グレン・グールドだ。
これを言うと、だいたい聞き返されるか、ムシされるゆえ、これについても沈黙を守ってる。
昔、彼はぼくの神さまだった。
音楽にもダサいぼくは特にこれといったこだわりもなく、その辺に流れる曲を「へーーーー」と聞いていた。
もちろんピチピチの頃にはそれなりに流行りの曲を聞いて歌ったりもしたけれど、オンチだからか、はたまた単に耳が悪いのか脳内スパークを起こすこともなかった。
ある日のこと、ハルキストの隣人がコンパクトディスクをぼくに押し付け「聴け」といった。
伝説の「ゴルドベルク変奏曲1955年版」だ。
ハルキストでもなければ当時からヘソが曲がとったぼくは「このイケメンワカゾーがなんぼのもんよ?」と息巻きやがった(当時、己もヤングのくせにだ)。
そんなヘソマガリオンチなぼくは一撃の元、電気ショック・脳内スパーク状態になる、キラッキラの世界が目の前に広がり、滂沱の涙ときたもんだ。
「グールド体験」
マニアの間でそう呼ばれる摩訶不思議なスピ的体験だ。
どう考えてもおまえがもっともウサン臭いじゃあないかっていわれるよね。
そうなんだよ、全くもってウサン臭さプンプンの発言だよね。
ゆえによ、ぼくは沈黙しとくんだ。
その魔的な日からぼくは生粋の「グールド信者」となった。(なぜか布教者である隣人の信仰心は薄い)
来る日も来る日も飽きもせず「ゴルドベルク」をエンドレスに脳内に流し込む。
それが高じて引けもしないピアノ(中古のオンボロ電子)を買っては、セッセと練習しだした、楽譜なんてろくに読めないもんだから半分耳コピでだ。
そうして奇跡なのかゴルドベルクのうちの数曲を弾けるようにもなった。
けれど、それらは指の筋肉記憶で成り立っていたゆえ、途中で間違えると始めに戻らなきゃいけない。
そんなぼくはオンチな歌声を高らかに張りながら弾き歌いを存分に楽しんだ、グールドのように。
あの高揚感ったらないんだ、ぼくは幸せだった。
けれど、残念なことにそんな神がかりスピ体験は浮気を許さない。
ぼくがちょっと他のことをしだして、ピアノを触らなくなると途端に弾けなくなったってもんだ。
(筋肉記憶の)魔法ハ、解ケタ。
今でもグールドを聴くと「神性」な気持ちになる。
ぼくの神さまだ。
隣人が言ったことを思う。
そう、グールドとポウくんは似ていた。
社会に適合できない奇妙で美しい者。
いつも遠くの音を聴いていた。
子供のように喜びに浸る者。
ぼくらにはわからない何か神的なものに目を輝かせた。
ぼくは天才(喜びに浸る者)を愛してやまない。
彼らのようになりたい、彼らの感じているものを感じたい。
なぜって、彼らは知っているからだ、ぼくらが失ってしまったものを。
神性なものを。
そうしてぼくは想う、
ぼくの神さまはふたりいる。